経路編!

 

「ぁぁあ…つい」

 

 セミの声がわしゃわしゃ鳴る中、おでこの斜め右上辺りに直射日光を浴びている――という夢を見ていた。俺の頭に下敷きがわしゃわしゃこすり付けられる中、おでこの斜め右上辺りが激しく摩擦熱を帯びている――という現実を把握するのに十秒かかった。

 

「あ、すずき生き返った!」

 

 わららの突飛な笑顔が上下逆さに映る。仰向けのまま上を見上げると、パジャマのズボンの両ひざが、俺の枕を座布団にしていた。

 

「あのね、さっきね、あたしがすずきの首絞めたら、すずきの息が止まったの」

 

「え」

 

 反射的に自分の首に手を添えてガードする。

 

「でもすずきが死んじゃったらユメトムはぶち消しリセットだから、半殺しセーフだった!」

 

 どうやら「きのこ」のルールが無くなった途端、俺は本格的に生死をさ迷う日々を迎えてしまったようだ。

 

「でね、頭に電撃ショックしたの」

 

「電撃ショック…?」

 

「そーよ。頭ぱっちぱちでしょ?」

 

 わららはその電撃ショッカーを自慢げに両手でべこべこする。うっすらピンクや黄色の剥げた、何となく、わららが小学校のときから使っていそうな下敷きだった。

 

「あー、うん、ぱっちぱちだ」

 

「きぜつ直ったー?」

 

「うん、たぶん直った」

 

 わららはそれを聞くとふふうと笑って、俺の体の上を経由してベッドから跳ね降りた。足踏み場にされた数箇所をいたわりながら体を起こすと、わららは自分のかばんのファスナーを開けて下敷きを突っ込んでいた。

 

「すずきが生き返ってよかったあ♪」

 

 ウイルスに似合わないようなセリフを、わららはひとり言みたいに口ずさんだ。

 

 

 

 

 

 果たして俺は一回死んだのか? それとも気絶したのか? はたまた二度寝をしたのか? もうすでにこの世界は、主人公が倒れてリセットされた、新しいゲームなのか? …とか考えながら歩く俺の隣で、大きなかばんのわららがきょろきょろ歩いている。今日は珍しく、新通学路開拓の旅に出かけないようだ。

 

「あたしね、たぶんね、いま指名手配されてると思うの」

 

「え、まじで」

 

「だってね~、殺人犯だから!」

 

 声にわくわく感が抑えきれていない。

 

「あ…そっか」

 

「昨日みやべい殺すとこ、おまわりさん見てたかなーぁ♪」

 

「うん、どーかな」

 

 適当に返事をしながら、たぶん、俺はそれを信じていなかった。頭で事実は分かっていても、宮部が倒れる様子が目に浮かんでも、いつも画面の向こうで見ている存在を現実世界に貼り付けただけのような、そんな感覚しかしなかった。

 

「ここらへんっ、ここらへんでね、みやべいが倒れちゃったんだよ。それでね、」

 

 わららは勢いよく喋りながら、俺の三歩先をスキップして殺人現場を案内してくれる。わららが坂を駆けていくのと同時に、後ろからたったったっと足音が駆けてくる。それが一瞬宮部かなって思ってしまったとき、初めて気持ちが自分の足を引き止めていた。大きなかばんとわららの背中がどんどん遠ざかっていく。変に現実味の無い視界は、3Dメガネ越しに見た景色みたいだった。

 

 近づいてくる足音が通り過ぎてしまうのを、俺は立ち止まったままじっと待っていた。かばんを持ってない側の肩が、突然とんとんっと軽く叩かれた。

 

「おーっすすずき!」

 

 振り向いて、目が合って、俺はそのまま一時停止していた。

 

「え…」

 

 目を見開いて、そのまま睨むくらいの勢いで、俺は笑いをこらえていた。

 

「お前…生きてたのかよ」

 

「え!? 俺死んでたのかよ」

 

「あれえ、みやべいも生き返った~!」

 

 10歩先くらいのわららがててててーと駆けて返ってくる。宮部のア…子どもっぽい顔が視界に入らないように必死に下を向くが、何だかもう、手や足や体が見えるだけで面白すぎる。

 

「ふっ復ふ、か活す…たんかっよ、」

 

 どうやら俺は「死んだと思ったら生きてた」系がツボらしい。だからいないいないばあって赤ちゃんツボなんかな。まあ違うか。

 

「死んでねえよ、めっちゃ生きてる!大丈夫だすずき」

 

 せっかく視界から外した宮部が、わざわざ覗き込んでフォローを入れてくれる。何か勘違いしているわららが、かばんから電撃ショック用の下敷きを引っ張り出す。大丈夫だから。ツボってるだけだから。死にかけみたいに震えてるけど大丈夫だから。…ちゃんとしゃべれるほど発作が収まるまで、約2分かかった。

 

 

 

 

 

 ――2分後。

 

「まずあたしがね、みやべいに睡眠薬入れようとしたの」

 

 はりきって解説するわららと、何一つ理解してない宮部が、まだ若干ツボの引いていない俺に昨日撮影したユメトムの内容を再現してくれた。わららは肩のかばんを地面に落とすと、宮部の首に両手を回してぴょんっと背伸びする。…俺にマッシュマンを烙印したときは背伸びしていなかった。

 

「うおっお、ぉお~」

 

 宮部が勢いに押されてよれよれと後ずさるが、その2倍のスピードでわららは急接近する。宮部の目の前にわららのおでこ。わららの目の位置は宮部の鼻先。わららのあごが上を向き、宮部の首が引き寄せられ、俺の頭がマジで止めようかと判断したところで――、宮部は地面にぶっ倒れた。

 

「えっ?」

 

 一瞬そのタイミングの良さにぞっとして、笑ってしまいそうになった。がよくよく考えたら笑っている場合じゃない。

 

「大丈夫か宮部…」

 

 大丈夫じゃなさそうな発作に震えるその肩に、俺は恐る恐る手を当てにいく。なんだか触れると爆発しそうな気がして

 

「っびゅあっは~ぁは!」

 

 …爆発した。

 

「お、おぼぼい出しった~はっきの、昨日ーうもま、マっシュマぃき、なははり~」

 

 宮部は腹をかかえながら、宮部語で状況を話し出す。

 

「んー?んー? もしかしてみやべい、笑ってたの?」

 

「だはっは、てぃよ、よーおみ見ったらは~わ、わははらららのぉ、でーこんにひっむあ、ママシュマンいる~て」

 

「ふーんなるほどぅ…」

 

 わららは宮部語を解読しつつ、探偵のようにあごに手をぴっと添える。その足元でひくひく震えている被害者を見て、ああこれなら死んだと勘違いしても仕方ないなと思った。

 

「わかった!」

 

 わららの背筋がぴょんっと伸びる。

 

「この殺人事件の犯人は~、お前だっ」

 

 そう言ってわららは人差し指一本で敬礼する。

 

「ほらね、よーく見て」

 

 そのままくるっと俺の方を向くと、指差した自分のおでこをピントが合わないほど急接近させた(背伸びはしていない)。コンタクトしても視力の悪い俺は、10秒ぐらいじーっと目を細めているうちに、何だか残像のような幻影のようなものが浮かび上がってきている感じがした。

 

「マッシュマン(※)?」

 

「そう、マッシュマン(※)!」

 

 …よかった、幻影じゃなかった。

 

「なんでマッシュマン(※)?」

 

「おでこプリンタのマッシュマン(※)!」

 

 …なるほど、ある意味残像だったわけだ。つまりわららのおでこに残っていたマッシュマン(※そう、それは数学の教科書に毎ページかかさず登場する、一度見れば二度と忘れられない強烈なインパクトを持つ解説キャラクター。人々は彼をこう呼ぶ、「スーパーゲジゲジマッシュマン」。初めてマッシュマンを目にした者は、その晩98パーセントの確率で夢に見るといわれ(俺もその一人だ)、ノートの隅などに少しでもマッシュマンの落書きをした者は、どんな成績優秀者でもその学期の通知表に「えんとつ」または「あひるさん」がつくという恐ろしい都市伝説もある…)の跡が、無駄に視力のいい宮部の視界に入り、この発作を引き起こした真犯人だ。恐るべしマッシュマン。

 

「で、その宮部はどうしたんだ?」

 

「おいてきた!」

 

 この状態の宮部がしばらく道端に放置されてたわけだ。

 

「で、その宮部はどうなったんだ?」

 

「ひやーあ、ばぶっばはく笑し、て止まららんでもっうわ、ららいねーへし、い、いぇー帰ったはは」

 

 爆笑して止まらなくて、もうわららがいないから家に帰ったらしい。(俺の解読力もなかなかだ)

 

「じゃあ結局、わららは宮部に睡眠薬してないのか」

 

「う~ん、睡眠薬したから死んじゃったって思ったの」

 

「えてことは、睡眠薬入れようと、というか、入れたと思ってわららが、え、宮部に、あの」

 

 わららが口を閉じたまま、にこにこと上半身を傾げる。

 

「…いや、何でもない、分かった」

 

「何が分かったのー?」

 

「何も分かってない」

 

「分かってないのー?」

 

「て、ことが分かった」

 

 自分で何言ってるか分からなくなってる。俺はとりあえずはーとため息をつき、もう坂を登ってくる中学生が一人もいないことを確認した。

 

「走ってくぞ」

 

 俺はにこにこわららと倒れた宮部を置きっぱにして、それだけ呼びかけて学校へ走り出した。

 

 

 

 

 

 5時間目が体育で、その前の昼休みだった。チャイムと同時に体操服に着替えて、もうすでに何もかも忘れていそうな宮部を眺めながら、俺と和渕はグランドの隅っこでフェンスを背中に並んで座っていた。とーもくんのこと、ミヤベさんのこと、昨日電話したこと…口を閉じたままぐるぐる思い浮かべ、思い浮かべては一人でかき消し、とりあえず今日の朝わららに半殺しされた話をした。

 

「ああごめん、それ僕のせいだよ」

 

 和渕が笑ってこっちを向く。

 

「ミヤベさんに報告してたんだ。700年後のみやべいはもうこの世にいません、ミヤベさんも安楽死しますかって」

 

 死ぬ、死んだ、死にますかという話をしてるのに、和渕の声は自然に穏やかだった。

 

「それで今日の朝、こっちの世界の鈴木さんの意識を抜いて、700年後の鈴木さん、つまりミヤベさんの意識を移してたんだ」

 

「あー、なるほど」

 

 だからその間、ちょうどわららに首を絞められている間、このゲームの主人公である俺の方の意識が無くなってたのか。

 

「勝手にごめんね、朝の5時台ぐらいならすずきも寝てると思って」

 

 朝の5時台から鈴木さん家の鍵を盗んで侵入する和渕の姿が思い浮かんだが、そこについては何も聞かないことにした。

 

「いや全然、大丈夫。てかむしろ助かった、俺そのまま殺されてたかもしれない」

 

 そしたら今頃この世界もリセットされて、今日は中学一年の入学式だ。やたらいろんな場所で写真を撮ろうとする母ちゃんから逃げつつ、不自然なくらい真っ白な、まだ慣れないひも靴をほどけては結び直し、そのたびに新入生の列から外れては走って追いつき、でも列のどこにいたか分からなくなって、適当なとこに入って並んでたら、一つ後ろの人がもう一個後ろだよと教えてくれた。まだ身体測定していない、名前の順に並んだその列は、2,3年生の列に挟まれてでこぼこしていた。入学したとき宮部は俺より背が低くて、背の順で並び直すと俺の5つくらい前だった。それが2年生になると2つ後ろになり、3年生になると8つくらい後ろになり、今ではグランドでボールを追いかける男子の群れから、ぱっと簡単に宮部の頭を見つけ出せる。でもその頭の中身は3年間であんまり入れ替わってないかな。たぶんこれから高校生になっても、大学…とか行くか分からないけど、大人になっても、鈴木さんと結婚しても、たぶんずっと――

 

「すずきの寿命はあと3日だよ」

 

「うん…え?」

 

 自分でもびっくりするほどびっくりした。でもよくよく考えたら、ああそうだったなと気付いた。

 

「ほんとは今すぐ終わってもいいんだけど、安楽死って準備期間がいるからね。まずこのゲームのエンドロールを作らないと」

 

 エンドロールって言っても走馬灯みたいなもんで、今までのミヤベさんの記憶からいくつか切り取って編集するんだ。700年分のデータをもとに作るからね、やっぱり3日間はどこの安楽死でも必要みたいだよ。それに走馬灯はユメトムと違って完全にノンフィクションだから、

 

「いやだ」

 

 口に出していた。和渕の声が止まる。俺は一言だけ言って、でもそれ以上言うことが思いつかなくて、ずっとグランドの砂を眺めていた。

 

「ふーん」

 

 隣で和渕が、意地悪なくらいほっとした声で笑う。

 

「ウイルスのためだったら命も惜しくないんだと思ってた」

 

「…へへえ、そんなことないって」

 

 俺も言いながら笑ってしまう。和渕にそんな風に思われてた自分が、変に面白かった。

 

 

 

 

 

 家に帰った俺は、制服を脱ぐより弁当を洗うより宿題を開くより先に、ゲームの電源を入れていた。――3日後に命日を控えたこの状況において、何かやり残したことはないか、例えば俺が急に死ぬことになって、俺の持ってるゲーム内の主人公にはどんな未練があるだろう。まだ冒険してないエリアを残したままプレイヤーが死んでしまったら、主人公はどんな気持ちでゲームを終えるのだろう。

 

 死ぬ前に、果たすべきこと――というわけで、俺はせっせとボタンをぴこぴこしている。どうせ制服は脱がなきゃだめだし弁当は洗わなきゃだめだし宿題は開かなきゃだめだけど、そういうことをやり終えてしまうのが何だか寂しくて、俺は画面だけを見て、イヤホンだけを聞いていた。

 

「すずき~でんわ~」

 

 丁度ラスボスの1つ手前の敵とのバトルが始まったとき、わららが俺のイヤホンを引っこ抜いた。俺はゲーム機からイヤホンを抜き、本体のスピーカーから戦闘BGMの続きを聞いた。

 

「今回はご協力ありがとうございました」

 

 わららのかざした右手から、狐さんの声が小さく聞こえてくる。

 

「どーいたしましてっ♪」

 

 わららは幼稚園で習ったようなあいさつの仕方をする。

 

「何かお礼を差し上げたいのですが、何がいいですか」

 

「鈍器ぃ!」

 

「あー今ちょっとスピード系アイテムが」

 

「具体的にお願いします」

 

「じゃあねーえ、れんが!」

 

「スピード…ならパヤヤの実、あパヤップルでもいいや」

 

「現実世界のものでお願いします」

 

「だってさ~すずき、ゲームだーめ」

 

「ふああっ」

 

 我ながらかなり悲痛な声が出る。強大な力の秘められた小さな指先によって、愛しのゲーム機は部屋の外へとくるくる放り出された。…わららの右手が再び俺の右耳にかざされる。

 

「すいません…ちょっと、俺ゲームするとだめなんです」

 

「知っています。私の恋人もそうでした」

 

「恋人くんも、ゲーム好きなのー?」

 

「ユメトムに関する勧誘メールを大量送信し、通信相手を探していました」

 

「ユメトムって、通信できるんですか」

 

「そうなのでしょうね、私もよく知りませんが。自分のユメトムに侵入したのが有害なウイルスなのか、それとも無害な通信相手なのか。恐らくそれを判断するために、ワクチンの基準も「主人公がその対象を嫌っているかどうか」ということになっているのでしょうね」

 

 よく知りませんが、という割にはすらすらと説明を受話器に流す。

 

「その通信相手の一人が「トーモ」と繋がっていまして、それが原因で彼はウイルス攻撃の対象になったのだと思います」

 

「じゃあこのゲームのプレーヤーも、とーもくんに嫌われてたの?」

 

 わららがずばっと悲しいことを聞く。

 

「そうとも限りません。彼も最初のうちは相手を選んでいましたが、徐々に無差別に攻撃を始めるようになりました。彼の知らないうちに彼自身の身内にまで被害が及んだそうですから、本当に何も考えずにウイルスを送っているのでしょう」

 

 それ、うちの話ですね。とーもくんの無差別攻撃が、たまたま奥さんのミヤベさんにヒットした。…なんて狐さんに言ったら狐さんがもっと怒りそうだから(声色は変わらないままで)、俺はそうなんですかーとだけ言った。

 

「ふーうん、で、お礼どーするっ? ゲームの中以外!」

 

 わららが瞬く間に話題を戻す。

 

「そうですね、その話でした。何でも欲しいものをおっしゃってください」

 

「うーーーん、じゃあ戦ギス4(「戦国ホトトギス4の巻~下剋上の五・七・五~」一昨日発売)とか…」

 

 言いかけて、あ、と思い出した。

 

「ゲームのカセットですか」

 

「あ、いや、すいません、やっぱいいです」

 

「なーんーでー!」

 

 わららがやたら大きい声で聞く。

 

「俺の寿命…というかこのゲーム、あと3日だそうなんです。たぶん、だから…買ってもできないと思います」

 

「あと3日だったのー?」

 

 わららがぱっと目を見開いて…そうな声で言う。(俺の後ろにいるから表情は見えない)

 

「ウイルスの影響ですか?」

 

「あ、えっとまあ、そうですね」

 

 厳密に言えば、ミヤベさん(鈴木さん)の生死を決める、とーもくん(宮部)の生死を決める、悪夢ユメトムの監督兼俳優がウイルスなんだけど。頭の後ろの表情がにこおとほぐれる気配がしたから、まあいいやと思った。

 

「あなたが、彼の最後の被害者になるのですね」

 

「あー、なるほど。そうですね」

 

 被害者という言葉を聞くと、何だか急に寂しくなってくる感じがした。狐さんの声よりも、受話器がら伝わる体温を、俺の右耳が感じ取ろうとしていた。

 

「戦ギス4というもの、探しておきます」

 

 狐さんの声が短く聞こえて、そこで電話は切れてしまった。

 

 

 

 

 

「へーえすずきあと3日で死んじゃうんだね☆」

 

 電話を切った直後と、母ちゃんが帰ってくる直前と、わららが風呂から上がった直後と、布団に入って寝る直前。わららはあれから計4回、同じ言葉をやたらテンション高く言ってくる。

 

「たぶんな。俺もよく分かってないけど、和渕がそう言ってた」

 

 とか最初はちゃんと返事してたけど、今はもう2段ベッドの下の布団の中で「うん」と返事しただけだった。

 

「ざんねん?」

 

「うーん、」

 

 すげえ残念、まじ死にたくない、わららが苦しめたせいだーと、適当に口走ったら本当に残念になりそうな気がして、

 

「別に」

 

 かなり見栄を張った。

 

「…ふー、そおなの」

 

 しばらくしてベッドの上から、最高に嬉しそうにきゅきゅっと声が漏れる。

 

「じゃあもっと残念にしてあげる」

 

「やめてくれ」

 

 そんなこと言っても逆効果なのに、なぜか俺は即答していた。…何かおかしい。いつもとやってることが逆な気がする。

 

「わらら、」

 

 俺は枕に乗せた頭で、上の段を見上げた。

 

「なあに」

 

 言うだけ言って呼び止めておいて、特にしゃべることがあるわけでもなかった。

 

「…おやすみ」

 

「ひゅふっ、おやすみ~♪」

 

 わららの明るい声が天井から降ってくる。俺は頭まで布団にもぐって、明日の起きたらもう「あと2日」になってるんだなって、ちらっと思って、思うのを止めて、じっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

「すずき、走馬灯見る?」

 

 命日2日前の俺に、和渕は「ゲームする?」のテンションで言った。1時間目終わりの休み時間、2組前の廊下の窓際に並んで立っている。

 

「走馬灯って…昨日言ってた、何だったっけ」

 

「このユメトムのエンドロール。まだ3分の1くらいしかできてないけど」

 

「見るって、それ、俺見ちゃっていいのか?」

 

「いいよ。すずきとミヤベさんは別の人だ」

 

 和渕はそう言いながら、突然左手でVサインをして、それを裏返しにして自分の口当たりにかざす。

 

「これ、わかる?」

 

「…写真撮るときの女子」

 

「はは、ぽいけど」

 

 和渕は笑いながら、その指をあごに添えてみる。ちょっと一瞬だけ女子っぽく見えてしまった。

 

「ワクチンの爪ライト。人差し指が右目、中指が左目、3D対応だよ」

 

 和渕はおしゃれした爪を自慢する人みたいに、Vサインをひらひら振る。

 

「えっとそれは…つまりその爪が方目ずつ、ちっちゃい画面になってるってこと?」

 

「そうだね、28世紀の眼球版イヤホンに原理は似てるかも」

 

 何だか聞いてるだけで目が痛くなってくる。

 

「安心して、ワクチンはウイルスを安全にしたものだから」

 

「て、ことは、わららもそれ使えるのか?」

 

「できると思うけど、言わない方がいいよ。これもともと目潰し用のライトなんだ」

 

 絶対言わないでおこう。

 

「人の目で試すの初めてなんだけど…ちゃんと見えるかな?」

 

 和渕の爪がさっと目に近づき、反射的にぱたぱた瞬きしてしまう。最初はピントが合わなくて何が見えてるのかよく分からなかったけど、徐々に視界が統一され、じわっと新しい景色が繊細に広がっていく。

 

「あー、すげえ見える」

 

 こたつにみかん。みかんの山。めがねをかけて、今よりちょっとだけ長い髪を首の後ろで束ねて、みかんの皮につまようじアートして遊んでるのがたぶん鈴木さん。笑けるほど同じ髪型で、笑けるほど同じ表情で、みかんの皮をぼろぼろ剥がして全然むけてないのがたぶん宮部。でもよく見たらちょっとだけおっさん化してる気もして、そう思ったらそう思ったで笑けてきた。

 

「本当はミヤベさんの、というか鈴木さんの目線で映像は記憶されてるんだけど、それを第三者の視点に移し変える作業が必要なんだ。コンピューターでもこの工程は結構時間かかるんだよ」

 

 ちょっと自慢げな和渕の声を聞きながら、俺はこの映像の二人は25歳くらいかなーとか思っていた。3D対応というだけあって、本当に俺が3人目として、そのこたつに入っているみたいだった。しばらくすると画面の下の方に、『名字、どないする?』と一行表示される。ゲームの中で住民に話しかけたときに出てくるような白いふきだしスペースの中に、ちっちゃな字がぱらぱらっと続けて並べられた。

 

「これ…字幕?」

 

「うん字幕。ちょっと音声だめなんだ。映像はワクチンの方が丁度いいけど、膝スピーカーは弱すぎるとほとんど使い物にならないからね」

 

 どっちにしろ教室前の廊下で男子二人が膝スピーカーしてたら、引く。

 

「――あれ、このへんのセリフ、どっかで聞いたことある気する」

 

 『だって、私のこと鈴木って呼んどうから、どっちも鈴木になったらややこいやん』『なるほど、俺はともくんやからセーフなんや。じゃあ鈴木はミヤベに変わるん?』

 

「ああもしかして、ミヤベさんに希望調査したときかな」

 

 『でも鈴木って呼んどったらええよ』『もう鈴木ちゃうのに?』『だって私はともくんって偽名呼びっぱやん』『うおー確かにそやな』

 

「ミヤベさんの視点をすずきから鈴木さんに移し変えるときに、ちょっとした走馬灯が聞こえてたのかもね」

 

 『でもともくんの方が、自分の名前変わったらめっちゃ書き間違えそう』『大丈夫、俺「鈴」って漢字書けるはず!』『書けてーなそこは』…

 

「すずき、そろそろチャイム鳴るから」

 

「あ、あーそうだな」

 

 すっかり自分が中学校の廊下にいることを忘れていた。

 

「また続き、2時間目終わったらね」

 

 和渕がVサインのまま約束する。そうしてこの日の休み時間は、ちょっと未来の(28世紀からしたら過去の)鈴木さんと宮部を、途切れ途切れに楽しむことになった。

 

 

 

 

 

 ちょっと未来バージョンのパソコンと、ちょっと大人バージョンの鈴木さん。お互いがお互いをぼうっと見て、ときどき鈴木さんの目が一回瞬きする。ときどき時計表示だけが変わる画面には、見覚えのある字が現れていた。

 

「ユメトム…」

 

 鈴木さんが慣れないカタカナを読み上げる。わららが「2×ra」と呼んだあの字よりも、白くきれいにデザインされたアイコンだった。

 

「す、鈴木だいじょーぶか?」

 

 あまりにずっとフリーズしてるので、宮部がおろおろと鈴木さんを覗き込む。たぶん今この画面(爪ライトの画面)で一番動いているのは宮部だ。

 

「ともくん」

 

 宮部のおろおろがぴたっととまる。鈴木さんがゆっくり口を開く。

 

「私な、ともくんが殺されちゃう夢見てん」

 

「えっ…」

 

「さっきな、一緒にゲームせーへん?てメール来てん。それで、よう分からへんけど、その人と通信しとってん」

 

 ゲーム、通信、メール…狐さんの恋人も、同じようなことをしていた。

 

「そのゲームが、ほんまに、ほんまもんみたいで、目とか耳とかだけやなくて、ほんまに全部ほんまみたいやってん。だから…ほんまに死んじゃったみたいやってん」

 

 鈴木さんの口元が止まる。またフリーズしてるのかと思って、宮部がおろおろしたいのを我慢している。でも我慢しきれてなくて、途端にぱっと笑った顔をした。

 

「死んでへんよ、めっちゃ生きてる!大丈夫やで鈴木」

 

 鈴木さんの目と俺の目が、同時に丸く開く。

 

「それな、死んだんじゃなくてな、めっちゃ笑ってんねん」

 

「ほんまに?」

 

「ほんまにまにまに、もう死んどんちゃうかーってくらい笑ってるけど、実は生きてんねん」

 

「そーやったん」

 

「そーやったそーやった。そういえばそーやった。おれ、おれおれもさっきその夢見とってん」

 

「ほんまにー?」

 

 またおれおれ詐欺みたいになってる宮部を見て、鈴木さんが疑うように笑った。宮部はそこで初めて問題のパソコン画面を見て、途端に超難しそうな顔をする。

 

「こめとむ…」

 

「ゆめとむや」

 

 字幕をかぶせるように鈴木さんがつっこむ。カタカナも読めない宮部は、突然よしっと言って立ち上がった。

 

「俺やっつけるわ」

 

 そう言いながら腕まくりし、何を思ったかその腕をパソコンの上に振りかざす。やばいと思った鈴木さんが、出せる限りの瞬発力でパソコンをかばった。

 

「あ…っ」

 

 失敗した真剣白刃取りのようなポーズのまま、二人は固まっている。鈴木さんは頭に手を乗せ、宮部は床にしゃがみ、その手の上にまた自分の手を乗せた。

 

「ごめん、ほんまごめん、痛いな、ごめん痛いな」

 

「痛い」

 

 率直に答える鈴木さんと、その50倍くらいの勢いで心配する宮部。鈴木さんはだんだん、笑ってしまう顔を隠すようにうつむいて、こっそり膝元に下ろしたキーボードを器用にかたかたした。

 

『ぼくもいたかった』

 

 パソコン画面左上に、小さくその字が現れる。『た』の横のカーソルが、見て見てーと点滅している。

 

「はっ…ご、ごめんなパソコン。俺が悪かった」

 

『ゆるさん』

 

「ゆーゆるさんか、そりゃそーや、パソコンもぜったい痛かった。俺のせいや、俺がすまんかった」

 

 必死に画面にあやまる宮部の後頭部を見て、鈴木さんは面白そうにひらがなを打ち続ける。

 

『おこめかってきてくれたらゆるす』

 

「うお、お米な、買ってくる買ってくる。よねねーちゃんってやつやろ?」

 

「ちゃうよねねーちゃんはチンする方。そやなくて、あの頭に乗せて持って帰るやつ」

 

「あ~わかった! あの頭と肩と腕に乗せて持って帰るやつや」

 

「そんなにいっぱい買うてくれんの」

 

「おう、まかせとって☆」

 

 宮部が中学生と変わらない笑顔でばーんと言う。

 

「あれ、そーいやパソコンって米食えるん?」

 

『…くえる』

 

 ちょっと油断していた鈴木さんが、また膝元でたたっと隠し打つ。

 

「でもパソコンって、響き的にパンの方が好きそう」

 

『ぱんはわたしがもつ』

 

 画面にぱらぱらっと並べられてしまった『わたし』の字を見て、二人は数秒固まっている。

 

「一緒にいこか」

 

「おう!」

 

 言うと同時に宮部はしゃきんと立って、謎の準備体操もどきを始める。「何個持つ気やねん」とけろけろ笑う鈴木さんは、いろいろ表示されたままのパソコンの電源をぐいっと切った。

 

 

 

 

 

「…面白れーな」

 

「そりゃよかった」

 

 そう言った和渕の爪が離れると同時に、一瞬ぼやけた視界が、またじわっと現実世界のピントに戻る。虫めがねの景色がひっくりかえるときみたいだ。

 

「あれでもさ、ユメトムができるのって700年後じゃなかったっけ」

 

「いや、最初に開発されたのはもっと前だよ。言っちゃえば今僕とすずきがやってるゲームだって、ある意味ユメトムだからね」

 

「あーそっか」

 

 たぶん、今はまだ映像と音声しかないけど、そのうち味とかにおいとかもついてきて、記憶もどーのこーのできるようになってきて、なんだかんだで今に至るというわけだ。(解ったことにしておく)

 

「さっきの二人、何歳に見える?」

 

「うーん2じゅう…4歳くらい」

 

「おしい、124歳だよ」

 

 え~見えな~い若~い、どころじゃない。ジャスト1世紀外れた。

 

「医療がぐんぐん発達したからね、最強の老化防止成分ができたんだ。みやべいの持って帰るお米にも入ってると思うよ。100年後は高齢化対策がみんなの義務になってるんだ」

 

 まあ年齢は同じペースで増えてくんだけどね、と、和渕が22世紀の歴史を楽しそうに話す。

 

「いわゆる不老の薬ってやつかな」

 

「…なにそれおいしいの」

 

「大丈夫、苦くないから」

 

 そう笑顔で騙して苦い粉を飲まそうとする大人のような言い方だ。

 

「ていうか、お米はまだ自分の足で買いに行ってるんだ」

 

「あーほんとだ、基本通販か自動補給なんだけど。これでもまだこの二人はのんびりしてる方だね」

 

 確かに、100年経ってもこたつにみかんだ。いや、あのときはリアルに24歳だったのかな…?

 

「24世紀くらいまでとんでみようか」

 

 和渕は腕時計を見るようにして、Vサインしたの左手の甲に右手を添える。何だか時を越える少年みたいじゃないか。俺たちは(というか俺は)、廊下の隅っこでわくわく感に浸っていた。

 

 

 

 

 

 ちょっと未来バージョンのパソコンと、ちょっと大人バージョンの鈴木さん。…見た目の年齢が全く変わってないのも不思議だが、部屋の中の様子も、古びたり、新しくなったり、大きな変化が無い気がする。ただその画面の中だけは、なんと言うか、すごい立体的に滑らかに進化していた。

 

「ただいま~」

 

 ぱっと字幕が現れる。宮部がどっかから帰ってきたみたいだ。

 

「おかえり」

 

 鈴木さんはパソコンを見つめたまま答える。見つめられた先で、少々お待ちくださいマークがくるくる回っている。しばらくして宮部もパソコンのところに来ると、鈴木さんはきゅいーっとイスを回して振り返った。

 

「またユメトムってやつの勧誘メールくるねん」

 

「ああ、俺やっつけるよ」

 

 それを聞いた鈴木さんが、急いでキーボードを滑らせる。

 

『たたくなぼくはわるくない』

 

「だよな、完全に向こうが悪い。殺人未遂だろ、しかも常習犯。死刑判決だな」

 

 一生かかっても宮部の口から出てこなさそうな単語を、宮部はパソコン並の早さで並べた。

 

「…ともくん何で標準語なん?」

 

「ん、あほんとだ。俺標準語なってる」

 

 さっきまでと同じ調子で、淡々と字幕が打たれる。実際に耳で聞いた鈴木さんにはもっと違和感があっただろう。

 

「うーん、店の人が勝手にいじったのかな」

 

「なんの店?」

 

「インストール屋さん、頭専用のな。いやあ俺たち全然コンピュータ系の知識なかったから、一通りデータ入れてもらったんだ」

 

 ユメトムの仕組み、ウイルスの手口、誰が犯人か、どう処理すべきか、世界中に何人同じ被害者が居るのか――字幕にぱらぱら流れる言葉を見て、この後恋人を失うだろう狐さんを思い出す。

 

「そしたら店の人がいろいろセットで入れてくるからさ~。この時代、最低でもこの程度の知識は必要ですからねーとか言って」

 

 宮部はそう言って笑った。死ぬほど笑いこける宮部は、もういなかった。

 

「別に義務化してるわけじゃないと思うけど、鈴木も行っといた方がいいよ」

 

 そのへんの言葉を聞いたか聞いてないかの内に、鈴木さんは両手でパソコンの画面を持ち上げて宮部の頭にごっとぶつけていた。

 

「…いってえぇぇ、びっくりした」

 

 たいして痛くもなさそうに、宮部が打ち付けられた頭をこする。もう一撃くらいやっといた方がいんじゃないの、と俺は画面でバトルするときの感覚で思ってしまった。

 

『あたまこわそうとおもった』

 

 鈴木さんの打ったカーソルが、画面左上で点滅しながら待っている。でも宮部がそれに気付く前に、カーソルはその字を全部消してしまった。

 

『しかえし』

 

 ゆっくりひらがなが打ち直される。宮部はその4文字に気付くと、ははっと口角を広げた。

 

「まじかー249年ぶりにかよ」

 

 249年…ええとさっき125歳だったから、そっから引いて、いや足して?3びゃく6…じゃなくて7じゅう、えーっと

 

「電卓も入ってるん?」

 

「おお確かに、計算速くなってるな」

 

 宮部はおでこプリンタするわららみたいに、ぴっと視線で上を向く。鈴木さんは宮部と目が合ってない隙に、じーと睨むように目を細めてみていた。

 

「この滴って子、誰よー」

 

 画面に打ち込まれた名前を、鈴木さんがわざと変な標準語で聞く。

 

「これアナグラムなんだよ。鈴木のかたきだからな、SUZUKIって並び替えたらSIZUKUになるだろ」

 

 おおすげえ、なるほど。と俺は一人字幕を見て納得してるけど、声だけで聞いてる鈴木さんは特にその並び替わりを確認したりもせずに、「ふーん」とパソコンの机に頭を乗せた。後ろにくくりきらなかった横側の髪の束が、少しずつ頬に流れてかかっていく。目の辺りまで落ちてきた髪の隙間から、幽霊にでもなりきるように大きく目を見開いて、見上げた宮部の目をずっと見ていた。

 

「ウイルス送るん?」

 

「え~まさか、性質は似てるけど目的がちげえよ。向こうはわざと鈴木を悪夢にさらしたけど、こっちは被害者出さないためにやってんだから」

 

 少し笑って答える宮部の頬に、四角い光が照っている。ときどきぱたっと瞬きして、画面の上だけでマウスのように視線を移動させる。――覚えている気がする。俺が鈴木さんだったとき、同じようにこの光景を見上げて、微妙に青く、白く変わる頬の光をずっと見ていた。音声は聞こえないけど、机に貼り付けた耳から、パソコンのかたかた鳴る音が、ういいいいいんと唸る振動が、静かに聞こえていた。気付いていないんじゃない、たぶん今見つめられていることも分かっている、きっと分かったまんまで、ともくんは画面の中に――

 

「私のため?」

 

 字幕画面に短く表示される。大人になった鈴木さんが、机に敷かれた髪ごと首をかしげる。大人の宮部は初めて視線を外し、にこっと笑った。

 

 

 

 

 

 爪ライトを離すと、廊下の向こうで、中学生の鈴木さんが首をかしげ、中学生の宮部があわあわ笑っていた。何をしゃべってるのかは遠いから分からないけど、ときどき宮部のえ!とかあ!とかいう声が廊下にひびいてくる。

 

「走馬灯、こっちのシーン使ったらいいじゃん」

 

 何となく二人を眺めてそう言ってみた。ら、

 

「走馬灯の映像は記憶レベルの強さに準じて選択されているから、このシーンが適用されないのは鈴木さんにとって今の印象がそれほど強くない証拠だと思う」

 

 たったら~と壁でも作るように漢字を並べられた。

 

「鈴木さんは、まだ好きじゃないからね、みやべいのこと」

 

 ゆっくり和渕が言うのを聞いて、俺はさっきまで見ていた走馬灯が、本当に走馬灯のようにフラッシュバックした。同じこたつの宮部、パソコンをやっつけようとする宮部、心配する宮部、笑ってくる宮部、そして標準語に変わった宮部――みんな鈴木さんの好きな人だったんだ。だから、走馬灯になるんだ。

 

「もしこのユメトムが高校くらいまで延長してたら、すずきも鈴木さんと視点かぶって、みやべいに恋してたかもね」

 

「うそだろ」

 

「みやべいが鈴木さんと仲良くなってくにつれて、すずきは徐々に自分の恋心を自覚するんだ」

 

「うそだろ」

 

「でもみやべいはきっと、すずきのこと友達としか思ってないんだろうね」

 

「うそだろ …あいや違う」

 

「え、なに思ってほしくないの」

 

「違う」

 

「どう思ってほしいの」

 

「違ううっ」

 

 何だこの恋バナは。まず登場人物が恋バナに似合わなすぎる。和渕がきっちりとユメトムを分析した上で言ってるのか、それとも適当に言ってるのか…どっちにしろ100%現実にならないから、俺たちはやりたい放題遊べるんだろうな。

 

 

 

 

 

「へーえすずきあと2日で死んじゃうんだね☆」

 

 …と、今日は一言も言ってこなかった。わららは昨日のテンションとは逆に、一人でうーんと頬に手を当てて考えながら、小さい子が遊ぶときみたいにぼしょぼしょひとり言をつぶやいていた。

 

 俺が風呂から上がってくると、わららはベッドにちょこんと腰掛けて、ほどいた三つ編みのかかる背中を丸めて、小さくうつむいていた。

 

「すずき、あたしね」

 

 ひざまで垂れた髪の間から、揺れるような瞳がふたつのぞく。お風呂上りだからか分からないが、いつもよりふるふると潤っている気がした。

 

「今日すきってゆわれたの」

 

「えっ?」

 

 寿命を聞かされたときより驚く。

 

「こ、告白され…てこと?」

 

 わららがこくんとうなずく。まだ少し湿った髪が頬に重なり合い、その横顔の表情を隠した。

 

「で、ど、どーし、いや、だ、だれ、で、どこ、」

 

 現実世界で「告白」というものを目撃したことのない俺は、何から聞いていいのか全く分からない。ましてやウイルスの事情とか、女子の事情とか、そんな類も全く分からない。次第にその小さな肩が微妙に震えている気がし始めて、俺はわららの右側に立っているような腰掛けているような中途半端な体勢でうろうろうろたえていた。

 

「え、あの、だいじょ…ぐあっ」

 

 突然すごい勢いで後ろ襟を掴まれ、そのまま一気に引き下ろされる。一瞬すごい力で首に服が食い込み、離されてもまだどくどくいってる頭でぼんやり確認すると、俺とわららは膝がくっつくくらいぴったり隣に座っていた。

 

「あたしよすずくん」

 

「…滴さん?」

 

 全く状況が読めないまま、とりあえず言ってみる。

 

「ぴんぽんぴんぽーん☆ 会いたかったわあ」

 

 すでに無い隙間をさらに無くして、わららは…いや、滴さんは、右手と左手と頭と髪の毛とを俺の肩の上に重ねた。何だか左肩だけが妙に重いような、こしょばいような、変なぬじぬじ感に俺はじっと耐えていた。

 

「え、わららはどうしたんですか」

 

「ふふっあたしが入ってきたいきさつよりわらちゃんの方が大事なのね」

 

 いや、もう、滴さんなら何やってても驚かないというか。

 

「わらちゃんが寝ちゃって意識が無いうちに、ちょっとだけわらちゃんの体にお邪魔してるの」

 

 滴さんはそう言いながら、やっとおれの肩からわららの体をどけてくれた。

 

「えっと、じゃあ、さっきの告白どーこーってのは」

 

「も~すずくんったらほんとに純情なんだから♪」

 

 …滴さんのいたずらだったわけだ。

 

「とーもくんが死んじゃったからね、自分の担当以外のユメトムにも、自由に侵入できるようになったの。それですずくんに会いに来ることもできるようになったのよ」 

 

 声は完全にわららなので、油断するとときどき滴さんが入ってることを忘れそうになる。ただその横顔を見てみたら、いつもはまるで、この世界の楽しさを全部納めるくらいの勢いでまるく開いた瞳が、滴さんが入るとふっと穏やかに、影を落とすようにまつ毛が伏せられていた。

 

「とーもくんの死因、安楽死じゃなかったのね」

 

「え、そうなんですか」

 

「だってあのほのぼのストーリーで自殺に追い込める~?」

 

 わららが絶対しないような笑い方で、滴さん入りのわららは笑った。

 

「じゃあ滴さんも、送ったユメトム見たんですか」

 

「ところどころね。あたしとーもくんと仲良しだから」

 

 そのとーもくんがもうこの世にいないことを忘れてしまいそうな言い方だった。

 

「どーせわらちゃんがあの宮部くん見て、殺しちゃったって勘違いでもしたんだと思うけど」

 

 鋭すぎる滴さん。

 

「とーもくんには全部宮部くん視点で映るんだから、宮部くんからしたら、結局爆笑して平和に終わったにすぎないのよ」

 

「あ、そっか…」

 

 宮部の爆笑が「平和」だったかどうかはともかくとして、宮部を殺したのが勘違いだった以上、とーもくんの苦しむ要素は一切無くなっていたはずだ。

 

「あれ、じゃあ何でとーもくんは死んじゃったんですか」

 

「さあ、笑いすぎてお腹壊しちゃったんじゃない?」

 

 ボスの最期についてテキトーに答える滴さん。

 

「そんなんで死んでしまうんですか」

 

「あら、進歩した機械に頼り弱った内臓が発作を起こして脊髄もろとも粉砕骨折したって説明した方がよかった?」

 

「…お腹壊しちゃったんですね」

 

 ほんとにお腹痛くなってそうな俺を見て、隣の滴さんはけろっと笑う。

 

「お嫁ちゃんに送られたワライダケを食べて死んじゃったのよ、宮部くんは」

 

 爪ライトで見た大人の鈴木さんが、水玉模様のキノコをすり潰してハンバーグに混ぜている絵が思い浮かぶ。そしてそれを標準語宮部のところに持っていき、そのパソコンの隣に一枚皿を置いて、焼きたての特大ハンバーグをフライパンから滑らす。わざわざお箸を持ってくるのがめんどくさい鈴木さんは、代わりに持ってたフライ返しをハンバーグに突き刺し、…ああハンバーグ食べたくなってきた。

 

「21世紀のユメトムで大笑いした記憶が、28世紀の現実で思い出し笑いを引き起こす。700年も越えて残像ウケさせるなんて、アブナイ殺人手段を開発したのね」

 

 ハンバーグのことばっか想像する俺の隣で、滴さんは何世紀スケールの話を楽しそうに話す。せまい部屋の天井を見上げ、ばたばた倒れる人々を想像しているだろう滴さんの目は、わららの目に重なっていた。

 

「自殺以外にも、死因があったんですね」

 

「そうね大発見よ。ノーベル平和賞もらわなきゃ」

 

「殺したのに平和賞でいんですか」

 

「あら、みんなの平和のために死刑判決したんでしょ」

 

 皮肉っぽいことを言ってくる滴さんの目は、また滴さんの目に戻っていた。

 

「ウイルスに対抗する新たな殺人手段…ふふ、わらちゃんも実はワライダケなんじゃない?」

 

「わららはウイルスですよ」

 

 わらら姿の滴さんに、俺は即答してやった。

 

 

 

 

 

 滴さんがいると、というかわららがいないと、時計の針がいつもと違う音に聞こえる。部屋の広さも、電気の色も、いつもと違う気がする。

 

「ふふっ、さみしい?」

 

 …なんだろう、声も表情もわららのものなのに、確かに滴さんに聞かれていた。

 

「まあ、たぶん、日が暮れるにつれて寂しくなってくんだと思います」

 

 昨日の昼、余命を宣告されてから、ゲームして、電話して、布団に入るまでの自分を思い出して分析してみた。

 

「じゃあ今は夜だから、MAXさみしいわけ」

 

「うーん部屋の電気消したらもっと寂しくなりそう」

 

「じゃあ消してあげる」

 

 いじわるな滴さんは即ベッドから降り、スイッチを消すと視界がふぁっと黒く染まる。自分で予言したとおり、ふぁっと心が細くなる。

 

「あの…豆球だけつけてもらっても」

 

「やーだ怖がりねすずくん♪」

 

 布団の上に滴さんの気配が一気に近づく。やばい、怖い、いや大丈夫、わららだから大丈夫、大丈夫だ、でも中身滴さんだ、ああ~やっぱ怖い。

 

「あ、や、めてください」

 

 まだ何もされてないけど、事前にお願いしておく。何かされてからじゃ手遅れだ。お願いできる舌があるかも分からない。

 

「へーえ殺めてください?」

 

「ち違いますっ、やめて、でストップです」

 

 まだ何もされてないけど、事前に慌てておく。訂正だ。俺の命日は今日だ。今夜が峠だ。ご臨終だ。

 

「っふふふふふふ」

 

 電話越しじゃ聞いたことないほど、可笑しそうな声で笑う。その吐息が目の前にかかるのを感じて、思った以上に滴さんが近くにいることが判明する。俺は気付かれないように、ゆっくりとギリギリ下までうつむく…が、滴さんは闇の中でそれを察知してのぞきこんできた。

 

「あーぁ」

 

 死ぬ――と思ってぎゅっと目と口を閉じたとき、ふうーと涼しい風が口元にかかる。ゆっっっくり目を開くと、(開いても真っ暗だけど、)滴さんがまた可笑しそうに微笑んでいる気配がした。

 

「なんか…あったんですか、息、ふくのって」

 

「無い無い、安心して」

 

 ほんっとすずくん面白いわあーと、わらら声の滴さんが笑う。

 

「まあウイルスの吐息にも、若干睡眠薬の成分は含まれてるけどね。この部屋も換気しないと、そろそろきてるかもよ?」

 

「…それじゃ、俺もう手遅れです」

 

 この死にそうな距離感から逃げるようにして、俺は布団のなかにずぶずぶ隠れた。しばらく時計の針を数えていたら「ふふっおやすみ」と布団越しに聞こえたけど、俺は断固として睡眠薬の成分にやられたフリをし続けた。

 

 

 

 

 

 わららが誰かとしゃべっている声がする。うっすら目を開けると、カーテンの隙間から朝っぽい光が見えた。何だか寝坊した土日の朝みたいにぼんやりしていたが、時計を見るといつもわららに叩き起こされ(あるいは絞め起こされ)る時間の、丁度10分前くらいに俺はベッドから降りていた。

 

 すでに制服・三つ編み姿のわららは、珍しく本物の受話器を使って電話していた。家の電話を使うわららを初めて見たので、その5本指につかまれた受話器が何だか大きく見える。しばらくしてわららは「じゃあね」と短く言って、かちゃっと電話を置いた。

 

「誰にかけてたんだ?」

 

「和渕くんよ」

 

 和渕…わっちくんじゃなくて。

 

「デートの約束してたの」

 

 デート、とか言うその横顔が、昨日の風呂上りと重なる。

 

「彼におねだりしてたのよ、あたしは親殺しのウイルスだから、駆除してくださいって」

 

「…まだ滴さん入ってるんですか」

 

「ふふっ一夜限りなんて寂しいでしょ」

 

 三つ編みのわららがあやしげに頬をやわらげる。…滴さんの目的は最初からこれだったんだ。わららの体に乗り移り、自分の頭目を裏切った部下を、ワクチンを使って消させようとしている。

 

「わららはどこいるんですか」

 

「そんなあ、ここにいるじゃない」

 

 中身の滴さんがにこっとすると、わららの姿もにこっとする。

 

「あのね、すずきがさみしいんだったら、あたしデート延期するよ? 明日の夜、寝ちゃって意識が無くなるまで、ずーっと一緒にいてあげる。それからわっちくんに会いに行ったら、すずきもさみしくないでしょ?」

 

 今目の前にいる女の子の、90%くらいまでが「わらら」だった。それじゃいやだ…なんて、もし言ってしまってから本当にわららが消されてしまったら、消されてしまってから本当に俺が一人になってしまったら――

 

「あたし、とーもくんと仲良しだったの」

 

 わららの声で、滴さんが言う。

 

「とーもくんの手で生み出されて、とーもくんの指示だけを信じて、とーもくんのために全部を生きてきた。コンピューターにとって人間は、人間にとって神様みたいなもの。神様を裏切った子は、天罰くだっても仕方ないのよ」

 

 自分の体を見下ろして、滴さんは滴さんの話し方で話した。伏せられたまつげと、穏やかに笑う口角とが、短い前髪の間からのぞいている。

 

 ――滴さんを敵にまわしてしまった。そう思ったとき、思い出した。ここはゲームの中の世界だ。ずっと主人公を影でサポートしていた謎のキャラが、実は終わり際になってラスボスだったと判明する展開だ。戦況は大ピンチ。タイマーは残り1日。使える限りのアイテムを使って、明日の夜を迎えるまで、逃げ切って、取り返して、エンドロールまで全クリしてみせる。

 

「天罰、させませんよ」

 

 俺は強く消えそうなわららに、宣戦布告した。

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