月兎
三年一組の武田司。彼は成績優秀、容姿端麗、その上性格もよく、学年の全員から尊敬されるような存在です。そう、私にとってもそんな存在だったのです。あの時までは……。
ことは半年前に遡ります。
「ヤバイヤバイ~! これ絶対間に合わないよ~!」
高校三年生、大学受験に向けて大忙しです。特に今日は塾の特別講習があって時間がない! なのになんでこんな日に限って日直なの、なんで先生は資料を運ばせたの! 今私が抱えているのは大量の紙が入った段ボール箱。しかも三つ。女子が運ぶ量じゃないって……。
「きゃっ」
「おっと」
走って角を曲がったとき、誰かにぶつかってしまったみたい。こ、これはおでこぶつけて入れ替わるみたいな展開!?
「ご、ごめんなさい!」
入れ替わりなんてあるはずもなく、ぶつかった衝撃で段ボール箱を落としてしまった私の前に立っていたのは三年一組の武田司君。やっぱりカッコいいな~。じゃなくて!
「ああ、いいよ。僕のほうこそごめんね」
なんて優しいの。やっぱり人気者はそれなりの理由があるんだね。
(ちっ、ちゃんと前見て歩けよ)
え? 今誰が言ったの?
「大変だね、手伝うよ」
私が戸惑っている間に段ボール箱を二つ抱えている武田君。優しいな~。私たちは倉庫に向かって歩き出した。
(あ~、かったるいな~。なんで俺がこんなこと)
まただ。誰なのよ、この声。
「あ、そうだ。君、名前は?」
「え、あ、私ですか? 新田希って言います。あらたじゃなくてにったです」
(はいはい、どうせそんなの覚えるわけないだろ。社交辞令だよ)
また。この声、もしかして。
「ねぇ、武田君。社交辞令、なんだよね?」
「え? どういう意味?」
(なんだよこいつ。見透かしたようなこと言いやがって)
やっぱり。これ、武田君の声だ。多分心の声。武田君って裏でこんなのなんだ……。なんか幻滅。
「あ、ここから先は一人で大丈夫だから。もうそんなに距離ないし」
「あ、ああ。そうかい? それじゃあ気を付けてね」
(よっしゃラッキー)
武田君にはこの場から退場してもらうことにした。これ以上聞いてられない。入れ替わりイベントは期待したけどこれは予想外だよ。
その帰り、時間のなかった私は普段使わない裏道を使ったんです。今思えばそんなことをしなければよかったと後悔します。まぁ、続きをどうぞ。
「遅れる~!」
角を曲がったその時!
「きゃっ」
またぶつかっちゃった。次は誰?
「いってぇな。姉ちゃん。うわ、骨折れたわ~。治療費だしてくれるかな?」
典型的な不良だ。どうしよう、逃げようにも私の足じゃすぐに追い付かれちゃう。
「あれ、なにやってるんだい?」
(なにやってんだ?)
こ、この声は!
「武田君!」
「なんだよ、お前。今この姉ちゃんと大事な話してんだよ。邪魔すんな!」
言うが早いか不良が武田君に襲いかかった。危ない! と思ったら、
「おっと、危ない人ですね」
(んだよ危ねぇな)
武田君が不良を投げ飛ばした。あれ、なんだっけ。一本背負いって言うんだっけ。
「ほら、今のうちに」
(さっさとしろ)
武田君が私の手を握って走る。さすがに不良は追いかけてこないようだ。
「大丈夫? 怪我とかない?」
ど、どうしよう。助けたお礼に何を要求されるんだろ。口には出さないけど心のなかで考えてるんじゃ……。
(大丈夫か?)
え? 今、もしかして本心から私を心配してくれてる?
「あ、だ、大丈夫。武田君こそ怪我はない?」
「ああ、僕は大丈夫。柔道習っててよかったよ」
「あの、ありがとう。じゅ、塾があるからまたね」
「うん、またね。今度はちゃんと大通り歩きなよ」
(次は助けてやれるかわかんねぇぞ)
どうしよう、すごくいい人だ。私はなんだか自分が恥ずかしくなってその場から逃げるように走り出した。
でも、聞こえちゃったんだよね。
(あいつ、どっかで見たけど誰だっけ?)
以上が私の体験談。武田君は半年たった今でも変わらずみんなの尊敬の的です。でも、裏の顔も相変わらず。困ってしまいます。だって未だに名前、覚えてくれないんですもん。
〈尊敬〉