ヒヤマフトヒト:第三話
ふっきー
「私、母親を幼い頃に亡くしてるのね」
「母の亡骸を見て思ったのよ。これは嘘だって。」
「私の母がこんな早くに死ぬはずはない。」
「医師や看護師も手伝って私にドッキリでも仕掛けてるんじゃないか、ってね」
「今考えれば誰もが思ってしまうことよね、自分の親族が死ぬはずはない、なんてね」
「死というのはこの世界では当たり前の筈なのにそのことを理解するには私は幼すぎたわ」
「それ以来なんでも疑ってかかるようになってしまった」
「この世界の人が私を騙していて、母はまだ生きているんじゃないか、と思ってたのよ、いえ、今でも思ってるんだわ」
「……」
「…つい話過ぎてしまったわ。こんな話忘れて」
「別にいいんじゃないか…?」
「えっ?」
「そりゃあ自分に親身にしてくれたり優しくしてくれたりする人をなんでもかんでも疑ってかかるのはよくないとは思う」
「でも疑う相手が世界ってのは馬鹿げすぎて関心すらするぜ」
「疑う心、上等じゃねえか」
「ただひとつ言いたいのは」
「俺がお前に向けて話す言葉に嘘偽りはないってことだ」
「俺のことは信頼してくれて大丈夫だ。」
「どうしてそんな…優しくしてくれるの?」
「お前が…自分を認めさせるためだ」
「…?」
きっとチャゲは母親の死によって自分の世界を自ら閉ざしている。彼女に母の死を認めさせること、それがチャゲに出会った者の使命だと思う。たまたまそれに俺がなってしまったわけである。
ーー疑 (ぎ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。
「疑」とは、仏教の示す真理に対して思い定むることなく、まず疑ってかかる心である。このような心をもつ限り、いかなる教えも自心は受け付けることはない。
この疑の心を打ち砕くことこそ、俺がやるべきことだ。
「ヒヤマフトヒト」
「…?」
「疑の覚え方よ 。昔、母が言ってたわ」
「あなたが桧山って名前なら色々ピッタリだったのにねぇ」
「うるせぇ」
「はーいはい」
これからのことを考えつつ、桧山でないのことを少し考える俺であった。