この地下鉄はフィクションです2
ヒヨコ
CAST
僕…県立N高校二年生男子。
「ミス・学園都市」…学校帰りの「僕」とよく地下鉄で乗り合わせる、私立女子お嬢様高校の生徒。地下鉄の学園都市駅で降りるので、「僕」が心の中でこう呼んでいる。
「……わからない」
言葉に出すと余計にむなしい。僕はメモ帳を握りしめたまま、自分の部屋のベッドに寝転がって、頭を抱えた。
ことの起こりは先月のこと。地下鉄学園都市駅のホームでの話だ。
「ええっと、お名前とアドレスを教えて下さい」
ミス・学園都市を追いかけて地下鉄を降りた僕がそう言うと、彼女は振り向いて小さく笑った。
「いいですよ。すごく今さらではありますけれど」
──それは確かに。
僕は首をすくめた。
約一年間。約一年間、僕と彼女は、下校中にほぼ毎日同じ地下鉄に乗り合わせていた。ちょっとした事件とそのときの彼女の名探偵ぶりのおかげで知り合い、話すようになってからも、名前すら知らないままの距離をずっと保ってきた。
「……あなたのことを『ミス・学園都市』って呼ぶのも、そろそろ飽きてきたので」
僕の苦し紛れの言葉に彼女はぴくっと反応して、聞き返してきた。
「え? 私のこと、なんて呼んでいたんですか?」
後悔したが、もう遅かった。
──変なネーミングって言われそうだな。
僕は仕方なく説明した。
「あなたはいつも、地下鉄の学園都市駅で降りるじゃないですか。だから心の中で『ミス・学園都市』って呼んでたんですよ」
彼女は一瞬黙ってから、吹き出した。爆笑はしないのは、やっぱり有名私立女子校のお嬢様だけある。
所在なく僕が立っていると、くすくすとひとしきり笑った後、彼女はまじめな顔になった。
「そうですか。なかなか素敵なネーミングですね」
「……ならよかったです」
彼女は付け加えた。
「それに、『ミス・学園都市』は、私の名前に五分の四だけ正解ですよ。当ててみて下さい」
「五分の四?」
意味をはかりかねた僕の前で、彼女がさらさらとメモ帳に何かを書いた。そのページをちぎって、僕に渡す。
「では、私はこれで。あ、そういえば、あなたのN高校の外壁、きれいになったようでよかったですね」
渡されたのは、どうやら携帯電話のアドレスらしかった。アルファベットと数字が並んでいる。
──おお、やっとゲットした。
思わずじっと見つめてしまって、
「あ、ちょっと待って下さい。名前……」
そう顔を上げたときには、彼女はもういなかった。
そんなことがあり、一ヶ月が過ぎて今に至る。つまり、僕と彼女が出会ってから一年一ヶ月が経過したわけだ。
しかもこの一ヶ月の間、彼女を地下鉄で見かけていない。早い話が、名前を直接訊くことができない。
──まあ、会ったとしても訊けないし。
当ててみろと言われて、わかりませんので教えて下さい、と頭を下げるようでは男がすたる。だからメールでも訊いていない。というかまだ一度もメールを送っていない。
僕は彼女のアドレスをにらんだ。が、名前に関係しそうなものではない。数字はたぶん誕生日で、アルファベットは某小説の主人公になっている。
──手がかりなんてほぼないに等しいじゃないか。
僕が彼女について知っていることは、三つだけだ。
一つ目。彼女は有名私立お嬢様高校の生徒だということ。
二つ目。彼女は、高校二年の僕と同い年か、一つ上かのどちらかだということ。
三つ目。彼女には観察力と記憶力が異常にあるということ。
特に、三つ目についてはよく知っている。これまで一年間、彼女の推理を見てきたからだ。
──僕が推理したって、ミス・学園都市にかなうわけがないじゃないか。
そう思ったとき、ふと思い出した。
──そういえば、前にも僕が推理したことあったっけ。
ちょうど一年ほど前、去年の夏休み前に記憶がさかのぼる。僕が彼女と出会い、彼女の鮮やかな観察力と推理力を知ってから、少したった頃の話だ。
朝。当時高一だった僕も、三ヶ月近く地下鉄に乗り続けているおかげで、だいぶ通学に慣れてきていた。朝の満員電車で押しつぶされない方法もわかった頃だった。
その満員電車の中に、僕は見慣れた顔を見つけた。中学から同じで、同じN高校に進学、しかも高一の当時は同じクラスだった男子生徒だ。
彼は皆から竹やんと呼ばれていて、クラスの人気者だった。特に女子から。
──顔がいいのって得だな。
そう思ったのはやっかみ半分だと認める。
彼は顔だけでなく、勉強もスポーツも悪くない。おまけに中学のときは、調理実習で神業のような料理の腕を見せた。本人いわく、「親の実家が料理屋だから修行した。兄貴が店継ぐの嫌がって家を飛び出して、下宿し始めたせいで、俺に期待がかかってる」らしい。「兄貴も変なやつだよ」とか言っていた。毎日の弁当も自作だそうだ。
そんな完璧な竹やんは、僕に気付かないまま、僕と同じように地下鉄に揺られていた。
異変が起きたのは、僕と竹やんが降りるはずの駅から三つ前の駅だった。
「あ、すみません、降ります」
戸口近くに立っていた竹やんが、周りの人にぺこぺこ頭を下げながら地下鉄を降りていく。竹やんは弁当やら何やらの荷物で両手がふさがっていて、なかなか降りにくそうだったが、無事にその駅のホームに降り立った。彼がそのまま早足で階段を上がり、ホームを出て行ってから、僕は首を傾げた。
が、不思議に思ったのはその一瞬だけだった。
──まあ、別におかしなことじゃないか。
もしかしたら、何か買うものでもあるのかもしれない。弁当プラス何か食べたいものでもあって、それはこの駅の店でしか売っていないのかもしれない。
──でもここの駅、駅の中には店とかなかったな。定期があれば駅から出られるから、一回駅の外に出て、ちょっと歩けばいいんだっけ。
僕はそう思った。
地下鉄のドアが閉まりかけたとき、車内にアナウンスが聞こえた。
「お客様にご連絡申し上げます。ただいま、先頭車両で急病人が発生したため、発車はもうしばらくお待ち下さい」
アナウンスと同時にドアがまた開いた。人がホームを忙しく行き交う。
──まあ、先頭車両なら関係ないよな。
僕はぼうっとホームを眺めていた。思った以上に待たされ、地下鉄は五分弱ほどその駅に停まっていた。
偶然はおもしろい。
地下鉄が長く停まっていたという偶然のせいで、僕はもう一回、おかしな場面を見てしまった。
竹やんがホームに戻ってきたことだ。
竹やんは地下鉄が停まっているのを見て、急ぎ足で乗り込んだ。リュックをおろして空いた方の手に持ち、さっきとは別の車両に入る。
僕は思わず時計と彼を見比べた。
どう考えても、たった五分弱で買い物をして戻ってくるのは無理だ。自動販売機くらいなら駅構内にあったかもしれないが、それをわざわざ買いに行くとは考えにくい。どこにでもあるようなものだからだ。
やっと地下鉄が発車してからも、僕はその疑問で頭がいっぱいだった。
それから学校に着くまで考えに考えた末、僕はある結論に行き着いた。
竹やんのおかしな行動を目撃してから三日たち、僕が帰りの地下鉄に乗っているところに、乗り合わせたミス・学園都市が話しかけてきた。
「どうしたんですか? 目が泳いでいますが」
「え? そ、そうですか?」
普段なら、ミス・学園都市と話せるのは嬉しい限りだ。でもこのときばかりは、嬉しさよりも落ち着かなさが先にたった。
──いや、待てよ。
この際、彼女の知恵を借りるのもいいかもしれない。僕の考えが間違っているなら指摘してもらった方が助かる。というより、いっそ間違っていた方が僕は嬉しい。
あつかましい話だがそう思ったので、僕は切り出した。
「この前、こんなことがあったんですよ」
僕は小声で、でも徹底的にことこまかに、僕が目撃した竹やんの様子を彼女に報告した。ただし名前は伏せて、同じ学校の人だということしか知らないような口振りで。
彼女はいちいちうなずいて聞いていた。
僕は最後に、一段と声を小さくして、意見を付け加えた。
「それで、僕、彼はキセルをしてるんじゃないかと思ったんです。たぶん、共犯者がいるはずです」
彼女が首を傾げた。
「キセルですか」
「知りませんか、キセル? 電車とかの料金をごまかして乗ることですよ」
「いえ、キセルは知っていますが……具体的なイメージはあまりないんです」
お嬢様育ちのせいか要領を得ないミス・学園都市のために、僕は彼女が出してくれたメモ帳に書いて、竹やんがしていると思われる方法を説明した。
例えば、①から⑤までの駅があるとする。
竹やんは①から②までの定期を持ち、共犯者は⑤から④までの定期を持つ。そして、竹やんは①から、共犯者は⑤から地下鉄に乗る。
二人は移動していき、それぞれ②と④を乗り過ごして、③で落ち合う。そこでお互いの定期を交換し、また地下鉄に乗って、今度はそれぞれが交換して手に入れた定期の駅で降車すればいい。
そうすれば、買う定期は一人につき一駅分で済むが、竹やんは①から④まで、共犯者は⑤から②まで移動できることになる。
そこまで説明すると、ミス・学園都市はうなずいた。
「よくわかりました。これを毎日、行きと帰りにしているだろうということですね」
「たぶん、そう考えて間違いないんじゃないかと。僕が目撃したのは、朝、彼が共犯者と定期を交換するときだったんですよ」
それなら、竹やんがやけに早く戻ってきたことも説明がつく。
僕は緊張して彼女を見つめた。彼女はため息をつく。
「なるほど。論理的には問題なさそうです」
彼女の判定でも、竹やんは黒。
僕もため息をついた。
キセルが駅員にばれたら、ごまかした料金の三倍の額を払わなければならない。そうでなくても、竹やんにはそんなせせこましいことをしてもらいたくない。だから……、
「だからその人の後をつけることにしたんですか?」
彼女が僕の心を読んだように言った。あまりにあっさり言われたので、一瞬反応できなかった。間が空いてから、僕はしどろもどろになった。
「え、いや、それは、」
「あなたはさっきからずっと、ちらちらと私の後ろを見ています。隣の車両にでも乗っているその人を見ているんですよね」
ずばりと指摘する彼女の鋭さに、僕は観念した。
「……はい」
学校からこっそりつけていた。わざと隣の車両に乗って、竹やんの動きを見ていることに気付かれないようにしていたはずなのに。
彼女に話しかけられたせいで竹やんを見失ったら困ると思っていたのが、行動に出ていたらしい。
「誰かに気付かれる前に、僕が現行犯で彼を……竹やんを押さえて、止めようと思ったんですよ」
後はダダ漏れだった。正直に白状する。
僕が竹やんを詳しく知らないようなふりで話したのも、彼女がその場ですぐに駅員に言おうと言い出さないようにするためだ。
キセルはれっきとした犯罪だ。正直、他人ならさっさと駅員なり警察なりに突き出して終わりにしていただろう。他人のせせこましい犯罪に口を出しても仕方がない。
──なのに友達だから止めたいなんて、甘いよな。
「優しいんですね」
それを優しいという言葉でまとめる彼女の方が優しいのかもしれない。
そのとき、地下鉄の中にアナウンスが流れた。次の駅を告げるものだった。
それを聞いたミス・学園都市が、ぽんと手を打った。
「ちょうどいいですね。次の駅は、竹やんさんが定期を交換するために降りるはずの駅です」
唐突すぎて、竹やんさんという妙な呼び方に突っ込みを入れられなかった。
「そ、そうですけど、だからどうするんですか?」
「もちろん、後をつけます」
「えっ? いや、僕が行きますからあなたはいいです」
僕は焦って彼女を止めた。もしも僕と竹やん、共犯者の間でトラブルになったら。いやトラブルになる確率の方が高いけれど、そうなった場合、彼女に迷惑がかかりすぎる。
──僕もケンカは強くないし。
僕がそう思ったのも見透かしたように、ミス・学園都市はふふふと笑った。
「大丈夫です。竹やんさんはきっと、定期の交換なんかしません」
「え? ちょっと、それってどういう……」
地下鉄が停車して、ドアが開いた。ばらばらと人が降りていくのに紛れて、隣の車両から竹やんが降りていった。それを追って、彼女も僕もホームへ降りた。
「竹やんさんは、あの青いリュックの人ですよね?」
階段を上がっていく竹やんをこっそり指さして、彼女が言う。
「そうですけど、あの、さっきのってどういう意味なんですか」
見失わない程度に間を空け、竹やんの後をつけながら言うと、彼女は断言してみせた。
「彼は、キセルをしていないと思います」
僕が何の反応もできないうちに、彼女が僕の袖を引いた。
「隠れて下さい。あそこで話しています」
階段の手すりの陰に並んで隠れ、そっと顔だけ出してのぞく。
人が行き交う駅の構内で、竹やんと誰かが話していた。男性だ。
僕は目をこらした。
「相手は大学生くらい、ですね」
彼女は小さく笑ったまま答えなかった。
じっと見ていると、やがて、相手が自分のカバンから何かを取り出した。定期ではない。
「……弁当?」
弁当を入れる小さいクーラーバッグだ。そのとき、角度が変わって、相手の顔がはっきり見えた。
僕は絶句した。
相手は竹やんにそっくりだった。
竹やんは弁当箱らしきものを受け取って、二人で何やらしゃべっている。その間に僕が彼女の方を見ると、彼女は大きくうなずいた。
僕は改めてもう一度竹やん達を見てから、つぶやいた。
「もしかして竹やんは、お兄さんに弁当を届けてたんですか?」
「はい。私の想像通りでした」
彼女は駅の階段に腰掛けて、満足そうに二人に背中を向けた。
「そもそも私が、キセルではないのでは? と初めに思ったのは、あなたがキセルのことを説明してくれたときでした」
「え、なんでですか?」
僕は必死で思い返すが、彼女は簡単に答えた。
「だって、毎日のことですよ? 時間がずれることだってたまにはあるでしょう。何かの事情で、片方が早い時間に行かなければならないときだってあるはずです。それに急に地下鉄が遅れたり乗れなかったりした場合、携帯電話で連絡を取ろうにも、地下鉄に乗ってしまったら電波が通じません。理論的には可能でも、毎日の話ならば机上の空論だと思いました」
──だから、彼女は。
『論理的には問題なさそうです』
こう言ったのか。僕はさすがにがっくりうなだれた。
彼女はさらに続けた。
「そう考えると、おかしいと思われることも出てきました」
僕は膝を抱えて階段に座りながら応じた。
「……いったい何だったんですか?」
「竹やんさんが地下鉄から降りたとき『両手がふさがっていて降りにくそうだった』とあなたは言いました。なのに、彼がもう一度乗ってきたときは『空いた手にリュックを持っていた』と言いましたよね。手が空いているということは、お弁当やら何やらの持っていた荷物がなくなっているということになります。誰かに渡してきたと考えるのが妥当ではないかと思いました。これが二つ目ですね」
細かすぎだ。見ていた僕だって言われるまで気付かなかったことに、話を聞いただけであっさり気付いてしまった。
彼女は僕にかまわずいきいきと語った。
「次に三つ目です」
「何ですか?」
僕は元気がないまま訊いた。
「竹やんさんが、誰かのために何かするなら? そう考えたとき、私の想像した彼の人物像から私が思いついたのは、料理だけでした。渡したのはお弁当だと考えれば違和感はないですし。それにお弁当なら、『○○という人が受け取りにくるので、渡して下さい』と駅員さんに預け、相手には『××駅の駅員さんに預けたから受け取ってくれ』とメールでも入れておけば済みます」
「なるほど」
僕の力つきたようなあいづちも気にせず、彼女はとどめをさした。
「それから、竹やんさんに、料理にあまり興味がないお兄さんがいると言ったときのことが四つ目でしたね。竹やんさんが言った言葉をそのままあなたが言ったのだとするならば……」
「するならば?」
「竹やんさんはお兄さんに悪感情を持っていてもおかしくない立場だというのに、それにしては少し、お兄さんについて話しすぎだと思いました。それだけ話すことがあるということは、よく会っている、かつ、いろいろ思うところはあっても嫌いではないということかと思いました。反発と同時に、憧れもどこかにあるのではないかと」
「…………」
──男子の微妙な心の機微まで推測しやがって……。
脱力すると、かえって元気が出てきた。
「根拠はその四つですか?」
「はい。そして、この四つを総合すれば結論が出ました。つまり、竹やんさんはキセルをしていません。彼は毎日お弁当を作って、下宿生活のお兄さんに駅で会って渡していたんです。そして帰りに時間が合えば、食べた後のお弁当箱も受け取って帰るんでしょう」
僕は大きく息をはいた。改めて彼女を見つめて、言った。
「すばらしい推理だと思います」
そのとき、頭の上から声が降ってきた。
「よう、リョウリン。女連れか!」
ぎょっとして見上げると、竹やんが階段の上でにやにや笑っていた。
「竹やん……。ていうか、誰がリョウリンだよ」
竹やんは僕をリョウリンと呼ぶ。やめてくれと言ってもいつもどこ吹く風だ。竹やんは僕の文句を無視して肩をすくめた。
「その人、立派な名探偵だな」
聞いてたのか。
彼女もふふっと笑った。
「ありがとうございます」
下のホームで、地下鉄が来るのを知らせるメロディが鳴り出した。竹やんは、受け取った弁当箱を揺らしながら、僕らの横を通りざまにぼそっとつぶやく。
「別にあいつに憧れてるとかそういうんじゃない。ただ、俺の兄貴だからな」
そのままホームに下りていく彼を見送って、僕と彼女は顔を見合わせた。
「竹やんのやつ、もっと素直になればいいものを……」
「まあいいじゃありませんか。単純じゃないから、おもしろいんですよ」
そのとき、地下鉄がホームに入ってきた。
「あ、帰りましょう」
「そうですね」
僕とミス・学園都市は急いで階段を駆け下りた。
それだけのことを思い出して、僕はため息をついた。
──そうか、あれがもう一年前のことになるのか。
僕の推理はなんだか惜しい。というか残念だったわけだ。
──でも待てよ。
今回、名前を当てるのは、ミス・学園都市が出した問題だ。なら、どこかにヒントが必ずあるはず。彼女は決まって、小さなヒントから結論を導き出すからだ。
そういえば、彼女は脈絡のないことを言っていた。
『N高校の外壁、きれいになったようでよかったですね』
僕の通うN高校は確かに、外壁工事をしていた。でも、それほど大きな工事ではない。おまけに、学校の敷地外から見える場所ではない。
もしかして。
──彼女は、外壁工事をしてる間にウチの高校に来たのか?
他校生の彼女が来るとすれば。
そして「ミス・学園都市」のネーミングが『五分の四』正解ということは。
僕は跳ね起きて、N高校のホームページを検索した。ホームページのトップからなめるように見ていく。
やがて見つけた。他校生がN高校に来る理由を。
部活の試合か、もしくは、先月あった国際交流会だ。
国際交流会については知っている。留学生がやってきていたので、彼らと話をしよう、という会だったらしい。他校生も参加可だった。部活の試合については、僕は美術部なので運動部の試合のことには詳しくないが、いくつかあったようだ。
国際交流会の写真が載せられているようだが、なかなか再生できない。もどかしくて、パソコンの画面をにらみつけた。
ようやく再生できた画像を見て、僕は思わずガッツポーズをした。
国際交流会がありました、という文字の下の写真には、確かに、彼女が写っていた。ローマ字で書かれた胸の名札には「M・Kumi」とある。漢字はわからないが、クミというらしい。名字はMで始まる名前。
──五分の四。「ミス・学園都市」が五分の四正解。
その瞬間、僕はひらめいた。
僕が彼女に会ったのは、その日から一週間後だった。
いつも通り、帰りの地下鉄に乗り合わせた。彼女の方が先に気付き、会釈をして話しかけてくれる。
「お久しぶりです」
僕もできるだけ落ち着いた笑顔で、
「お久しぶりです……ミスガさん?」
一瞬の沈黙が流れた。地下鉄が線路の継ぎ目をガタンと踏む。
「正解です」
そう言って彼女は、楽しそうに笑った。
僕はほっとして、一気に力が抜けた。間違えていたら嫌だと思って緊張していたせいだ。
後は答え合わせだ。僕は自信を持って言えた。
「ミス・学園都市……あなたの名前は、ミスガクミさんですね」
彼女は笑顔のまま大きくうなずいて、答えた。
「初めに『ミス・学園都市』と呼ばれたときはぎょっとしました。だって、」
「名前の五文字中、四文字まで同じですもんね」
いつもとは反対に、僕が彼女の言葉を引き取る。
ミスガクエントシ。
ミスガクミ。
確かに、五分の四だけ正解だ。偶然というのはおもしろい。
彼女は少し頭を下げた。
「改めまして、私、三菅久美です」
空中に指で字を書いて説明してくれる。それをうんうんとうなずいて見ながら、僕ははたと気付いた。
──考えてみれば、今、やっとスタートラインなんだよな。
でも、それでいい気がする。単純じゃなくて面倒くさくて、だからおもしろい。
「あ、ところで三菅さん。僕の名前って知ってますか?」
「もちろんですよ」
「ええっ? 何でですか?」
三菅さんはくすくす笑った。
「先日N高校へ行ったとき、見てしまったんです。何だかずるくてすみません」
「何をですか?」
わけがわからない僕が訊くと、彼女は笑いをおさめて答えた。
「美術室にお邪魔したとき、絵が置いてありました。『地下鉄ドラマ』というタイトルの絵です。なかなか素敵でした。どうやら名探偵をイメージしたらしい女の子、探偵の助手をイメージしたらしい男の子、その他に小道具がいっぱい散らばっていて、その真ん中に地下鉄があるという構図でしたね」
顔から血の気が引いたのが自分でわかった。
「なぜか私、散らばっている小道具に見覚えがあったんですよ。定期券、お弁当箱、その他もろもろ、全部に記憶がありました」
僕はうつむいた。
「その絵の作者は、スズノリョウヤさんといいました」
そこで三菅さんが間を空けた。
話していたので意識していなかったが、地下鉄は駅に停まっていた。ぱらぱらと数人が、地下鉄を乗り降りしている。真剣な顔でしゃべっている僕らは、どう見えているんだろう。
僕が目をそらしているのをじっと見てから、彼女が言う。
「スズノリョウヤさんはあなたですね」
僕は諦めた。いつもそうだ。結局は彼女をごまかせない。
「はい……、僕が鈴野涼也です」
取り調べ室で自白する容疑者はこんな気分なんだろうか。別に問いつめられたわけではないのに。
「だから竹やんさんはあなたを『リョウリン』と呼んでいたんですね。『リョウリン』は、あなたの名前から『涼』と『鈴』を取ったんでしょう?」
一年前のそんなにささいなことまで覚えているなんて。しかもそれが正解だから恐ろしい。僕は竹やんを思い浮かべた。
──あいつ、今も僕のこと、リョウリンって呼ぶんだよな。
僕はうなずいてから、おそるおそる顔を上げた。
「申し訳ないです、勝手にモデルにしちゃって絵とか描いちゃって」
そう謝ってそっと見ると、彼女は首を横に振っていた。
「いいえ。私がちょっと考えて話すだけで、絵に描いていただけるほど楽しいんでしたら、私としても嬉しいです」
完全に見透かされている。
そうだ、僕は楽しい。彼女の冴えた推理を聞くのが、その時間を過ごすのが。
今度は長い沈黙が流れた。お互い、今さらのように名前を知って、ずっと「名前も知らない知り合い」だった距離が変わったような気がしていた。
ずいぶん時間がたってから、三菅さんが口を開いた。
「そう、ついこの間も、おもしろいことがあったんですよ」
ついこの間といえば、一ヶ月と少し前から今日まで彼女を地下鉄で見かけなかった。それが僕の顔に出たのか、彼女は付け加えた。
「私は今まで一ヶ月と少し、オーストラリアへホームステイに行っていたんです」
「あ、だから地下鉄にいなかったんですね」
「はい。それで、オーストラリアで私が遭遇したことなんですが、」
僕は思わず期待した。
──やっぱり、名探偵は万国共通かな?
が、そのとき、地下鉄のアナウンスが鳴った。
「次は、学園都市。学園都市です」
三菅さんが、あ、と声をもらす。
「じゃあ、私はここで」
「え、オーストラリアの話は……」
「すみません、また今度にしましょう」
すうっと地下鉄が減速し始め、停まった。ドアが開いて、三菅さんが降りる。すぐにドアが閉まって、地下鉄が発車した。
彼女は、発車した地下鉄の中の僕へ向けて会釈をした。僕は未練がましく窓ガラスにはりつく。
──やっぱり、単純でうまくいく方が楽なんじゃないのか?
声を大にしてそう言いたい気分で、僕はホームに立つミス・学園都市を見つめていた。