今は現代、ある高校に三戸理音(さんどりおん)という一年生がいました。彼女は自分についてのあらゆることにコンプレックスを抱えていました。
――勉強ができなくて、いつも平均点以下。運動もできなくて、いつも持久走最下位。陰キャのオタクで、友達がほとんどいない。見た目も駄目だ。鼻が丸いし低い。一重で涙袋も皆無。背も低くて手足も小さい、ちんちくりん。何にもいいとこなしだ――
理音はそう思っていました。そして彼女は不運なことに自称一軍女子の三人組――リーダーの目井都恋(めいとれん)、ギャルメイクが誇りの芦田愛翠菜(あしたあすな)、入試当日点が自慢の土瀬璃羅(どぜりら)――に目を付けられ、パシリのような扱いを受けていました。自販機のジュースや食堂のパンを買ってくるように命令されたり、提出課題を代わりに完成させるように命令されたりするのは日常茶飯事でした。放課後の掃除当番を理音一人に押しつけられることも増えていきましたが、彼女は真面目だったのできちんと掃除していました。そのためによく埃まみれになり、あだ名が「埃被り」になりました。それがいつしか間違って「灰被り」と伝わり、そのあだ名が定着してしまいました。
そんなある日、理音は一時間目の後の休み時間に三人組から逃げるためにトイレの個室に閉じこもりました。すると、その三人組が手洗い場に来て話す声が聞こえてきました。
「なんか今日まつ毛下がっててだる〜。てか髪もうねってるし湿気最悪」
愛翠菜が気だるそうに言いました。
「でも今日四十分授業の四時間だけだからよくね?」
璃羅は笑い声混じりで言いました。
「え、マジ? 午前だけ?」
「午後から体育祭準備じゃん。うちらは関係ないやつ」
「だから今日の体育はもう自由選択だったし」
「楽すぎ〜。種目何あんの?」
「確かバド、バスケ、卓球、謎にダンス」
「自由選択でダンスは草」
それを聞いて恋は唇の端を吊り上げながら言いました。
「じゃあさあ、灰被りおんが選んだ種目うちらも選んで嫌がらせしよ」
「あーそれいいじゃん」
璃羅もにやりと笑う自分を鏡に見ながら言いました。
「いや『灰被りおん』はもっと草」
愛翠菜は爆笑して言いました。
「んじゃあ決まりで!」
恋たちは大笑いで帰っていきました。理音は個室の中で震えあがりました。
――どうしよう、四時間目の体育だけを楽しみにしてたのに、このままだと目井都恋たちに絡まれる……。しかも私新しいあだ名つけられたみたいだし――
次の授業は移動教室の芸術だったので、理音は急いで廊下へ出ていきました。不幸中の幸い、三人組は音楽、理音は美術を選択していました。三人組は歌唱テストで自信満々に歌いましたが、先生はその余りの不協和音に顔をしかめました。理音は好きな漫画のキャラクターの切り絵が課題だったので、顔をほころばせました。
その授業後、理音は唯一の友達である塚井真歩(つかいまほ)に相談しました。
「どうしよう、トイレでこんなこと聞いちゃって……体育の授業が怖い……」
真歩は明るく笑いかけて言いました。
「なら変装して三人に気づかれないようにしよ!」
「変装って、どうやって?」
理音は困惑して聞きました。
「メイクと髪型だよ! 三時間目終わったら職員室前のトイレに来て、穴場だから。私に任せて!」
三時間目の後の休み時間、理音は真歩とそのトイレへ向かいました。
「体操服の名前で理音ちゃんってバレたら困るよね。名前まだ書いてないやつ持ってきちゃったから貸すよ」
「え、真歩ちゃんは体操服どうするの?」
「今日は見学だから大丈夫! メイクするからぱぱっと着替えないとね」
「うん、ありがとう……!」
理音はトイレで着替え、手洗い場の鏡の前に立ちました。真歩は素早い動きでコスメポーチの中身を広げて言いました。
「よし、じゃあ今から理音ちゃんを別人級に盛るよ! 理音ちゃんはちょっとのメイクでだいぶ変わると思う。私と同じイエベ春っぽいからメイクしやすいよー。まず日焼け止めでトーンアップして、パウダーでマシュマロ肌にしちゃおう。眉は形整ってるから隙間埋めるくらいで、二重テープで二重にしちゃったらもうこの時点で全然違って見える! 薄ーくアイシャドウ入れて、三角ゾーン埋めて元々大きいけどもっとデカ目にしよう。涙袋の影はピンク系であざとめに、コンシーラーでぷっくり涙袋爆誕! まつ毛はふわっとあげて自然に、シェーディングとハイライトでより小顔にするのと鼻の立体感を演出! リップチークで血色感ほっぺ作って、鼻と顎ににも入れて、リップもグラデでぷるっと仕上げて、真歩流ナチュラルスクールメイク完成!」
真歩がメイク道具を目まぐるしく動かして早口で解説をするのを、理音は魔法の杖を振って魔法の呪文を唱えているようだと思いました。
「次は髪型だね。理音ちゃんは前髪重いから、余分な髪はよけてピンで留めて軽くしとくといいかな。触覚は流して、おくれ毛出すと今風だよ。後は、理音ちゃんはいつもローポニーしてるイメージ強いから今日は高めの三つ編みお団子にしよ! このシュシュ使って!」
真歩は飾りの付いたオレンジ色のシュシュを差し出しました。
「このシュシュ可愛いね! なんか、かぼちゃの色みたいな……」
「確かにかぼちゃ色っぽい! この色がおきにカラーなんだよねー。……よし、髪型も完成だね! これなら三人にも理音ちゃんってバレないね!」
理音は思わず自分の目を疑いました。鏡の自分はあっという間に垢抜けた姿に変身していたのです。
「すごい……魔法みたい……」
「そうだよねー、もはやある種の魔法だよ。……でもさ、メイクしてたってバレないように、教室帰る前に落とさなきゃね。だからチャイム鳴る前くらいまでには、またここ戻ってきて!」
「確か、四十分授業だから四時間目は十二時に終わるよね」
「うん。十二時のチャイムが鳴るまでに、ね」
「わかった。本当にありがとう……!」
理音は真歩へ感謝しきれないほど感謝の気持ちでいっぱいでした。二人は少し駆け足で体育館へ向かいました。
四時間目、体育の授業が始まりました。理音は一番楽しそうだと感じた種目・ダンスを選ぶことにしました。一方、理音が変身しているとは夢にも思わない三人組は、理音を見つけられません。
「灰被りおん、いなくね? サボった感じ?」
恋は鵜の目鷹の目で探します。
「え〜まじで? サボりはさすがにしないんじゃない?」
愛翠菜もキャラメルブラウンのカラコンをした目を光らせて探します。
「どうせ卓球とか選ぶと思うけど、全っ然見つかんないんだが?」
璃羅も自慢の頭脳を使って見つけようとしますが、やはり気づきません。
「あ、ダンスのとこに王子君いる!」
愛翠菜は理音を見つける代わりに王子満也(おうじみちや)を見つけました。彼は文武両道・温厚篤実・容姿端麗と三拍子揃った、言うなればイケメンでこの高校の人気者でした。しかし、三人組とは違うクラスで彼女たちはそれを残念に思っていました。
「王子君に近づくチャンスかも。ダンスにしよ」
恋はあわよくば満也と親しくなろうと画策し、ダンスを選ぶことにしました。他の二人も恋に付いていくことにしました。
ダンスの授業は先生が選んだ曲にペアで振り付けを作って授業の最後に披露するというものでした。理音はなんとまあ雑な授業だと呆れました。それと同時に、「ペア」を作るということに恐怖を抱きました。彼女は生まれつき、ペアを作るときに偶数人でも必ず余りの一人になるという一種の才覚を持っていたのです。彼女の不安は的中し、周りが皆ペアを作る中を一人絶望の淵で棒立ちをする羽目になりました。しかしそのとき、理音が残酷に打ちのめされている様子に気づいた生徒が歩み寄って言いました。
「よかったら、僕と一緒にしない?」
彼こそが満也でした。
「いいの!? あ、ありがとう……」
理音には人生で初めての出来事だったので信じられませんでした。
恋は満也が見知らぬ誰かとペアになってしまったことを悔しがりました。
「取られた! うちが一緒にしたかったのに……!!」
「もう私ら三人でよくね? 人数、奇数だし」
璃羅はなだめるように言いました。
「王子君とペアの子、何組? めっちゃ可愛い〜」
愛翠菜はその正体を理音だと知らずに呑気に言いました。
ウォーミングアップが終わり、本格的に授業が始まりました。二人は最初は苦戦しながらも振り付けを考え、次第に打ち解けていきました。
「四十分授業で振り付け考えて発表って普通無理だよ。この授業適当だな」
「やっぱりそう思うよね! そもそも私、ダンス下手だし……ごめん」
「え、ダンス上手い人側だと思うよ。体の動きが全然違う。ほとんど振り付け考えてくれてるしね。ありがとう!」
理音は満也の優しい言葉に心が動きました。
「本当? 嬉しい……。実はこの曲好きなアーティストの曲で、元のダンス練習してたからその成果かも」
「え! トゥデイバイトゥエニー好きなの? 僕も! 僕は『九時四十三分の空で見つけた君を待つ』が好き」
二人は趣味を共有できる人を発見した嬉しさで舞い上がりそうになりました。
「わかるー! それ歌詞がすっごく好き! あ、あとね、この曲好きな漫画のアニメの主題歌だったからそれもあるかも」
「えー! 僕、『ワールドトリマー』も大好き! 推しは丸鳥と湖波」
「全く同感! あの二人はどっちも強いし美男美女だしお似合いだと思ってる」
二人は今までにないほど話の合う人物に出会ったので、夢見心地でした。
「でもアニメは第一期がひどい、というかひどすぎる。全話見るのきつかった……」
「うん、見るだけ時間の無駄だとすら思える逸品だよね! 基本作画崩壊、間延びしたストーリー編集、誰得のアニオリ、全十二話分に渡る安物すぎるオリエピ、それによる怒涛の辻褄合わせ、というオンパレード」
「いや、まさにそれだよ。言いたかったこと全部言ってくれた」
笑い声が体育館に響きます。二人は振り付けを考えつつ、自分たちの趣味について全力で語り合いました。そうして、ダンスの発表の時間になりました。二人のダンスは短時間で仕上げたとは思えないような完成度の高いもので、皆時を忘れてじっと見入りました。
「王子君、かっこよ! てかあのペアの女子誰? 見たことあるかも」
恋は怪訝そうに見つめました。
「うーん、確かに見覚えあるシルエットな気がするんだが」
璃羅は記憶力を極限まで使いますが、答えは出ません。
「やっぱりあの子可愛いな〜。羨ましいな〜」
愛翠菜は相変わらず呑気につぶやきました。
全ペアの発表が終わり、授業もそのまま終わろうとしていました。
「楽しかったね! 振り付けとおすすめの曲と漫画、教えてくれてありがとう」
「そんな、こちらこそだよ。ペアになってくれてありがとう……」
二人は体育館の扉へ歩いて行きます。満也はふと気づきました。
――たくさん話したのに、ペアの子の名前を聞いていなかった――
満也は理音に聞きました。
「ねえ、名前は?」
「私の――」
理音が答えようとしたとき、彼女の視界に時計が入りました。長い針と短い針が重なろうとしていたのです。真歩の言葉が脳裏に浮かびます。
――十二時のチャイムが鳴るまでに、ね――
その瞬間、チャイムの音が理音の耳を突き抜け、彼女を現実へ引き戻しました。
「ごめん! 私、もう帰らなきゃ……!」
理音は体育館を走り抜け、扉を通り過ぎ、階段を駆け下ります。満也は戸惑って追いかけます。理音は慌てて靴を履き替えようとして、体育館シューズの片方を階段に落としてしまいました。しかし急がなければメイク落としと更衣が間に合いません。泣く泣く走り続けます。そして、約束の場所に着きました。
「大丈夫だった?」
真歩は息切れしている理音の顔を覗き込んで心配そうに言いました。
「うん、バレなかった、けど、ごめん、ちょっと時間破った……」
「ちょっとなら全然オッケー、爆速でメイク落とすから」
真歩が理音の顔をクレンジングシートで拭くと、魔法が解けるようにみるみる元の顔に戻りました。
「見慣れた顔に戻った……」
理音は少しさみしく感じながらも手早く更衣を済ませ、真歩と走って教室へ戻りました。
慌ただしくドアを開けると、理音の机の前に三人組が待ち伏せていました。
「ね〜どの種目してたの〜?」
「生意気にもサボったんじゃね?」
「それは悪すぎ。罰がいるでしょ。ぼっちで掃除と、他何がいい?」
理音は怯みました。しかし、好きな漫画のアニメに対する批判をしたときの自身の饒舌っぷりを思い出して言いました。
「……なんで、私のすることを決めるの? あなたたちと何が関係あるの? 私は誰かさんたちとは違って、リーダーぶってる人に付き従わなくても、自分のことは自分で決められるから」
「っ、やっぱり生意気だな……!!」
恋が手を振り上げたそのときでした。
「失礼します! この体育館シューズ誰か違いますか?」
満也が片方だけの体育館シューズと一緒に教室に入りました。恋は勢いよく満也に近づきました。愛翠菜と璃羅も付いていきました。恋は猫撫声で聞きました。
「その靴はなあにー?」
「体育でペアだった子が落としたから届けに来たけど、その子の名前を知らなくて……。他のクラスにはいなかったからこのクラスのはずなんだ」
満也はもう一度あの馬が合う楽しい子と話したいと真剣な表情で言いましたが、恋はその子に成り代わってやろうと企みました。
「もしかしたら、私のかもー。履いてみるねー」
「流石に無理があるよ……サイズ全然違うし……」
愛翠菜は小声でたしなめましたが、恋は聞きません。上履きを脱いで、足を入れようとします。しかし、恋の足はその二十二,五センチの体育館シューズを履くには余りにも大きく、不釣り合いでした。
「あー、ちょっと前に買ったからきついんだよねー」
「そんなにきついシューズであんなに踊れたはずがない。そもそも君はあの子と全く違う」
恋はあえなく一刀両断されました。
「あ、それ私のだ」
理音が前へ出ました。三人組はまさかと耳を疑いました。満也は彼女の雰囲気がさっきと違うことを不思議に思いつつも、彼女こそが探していた人だと確信しました。慎重に靴を差し出します。理音は丁寧に足を入れます。彼女の足はこれ以上ないほどにぴったりと合いました。
「ねえ、名前は?」
「私の名前は三戸理音」
「理音、友達になって!」
「もちろん! トゥバトゥとワートリについて語り尽くそう!」
クラス中が拍手と歓声で包まれました。担任の先生は帰りの号令をするタイミングをもはや逃し、笑って拍手するより他をなくしました。真歩は理音の頼れる親友、そしてメイクアドバイザーとしてその名を馳せました。
理音と満也はこの高校の伝説として語り継がれました。恋と愛翠菜と璃羅の三人組は、理音と満也に見出した真実の愛に心を洗われて改心しました。そして理音に今までのことを謝罪すると、「そういえばそんなこともあったね」と案外軽く許され、その後は「みちりおを応援する会」を設立してその推しカプ『みちりお』をとことん推し進み、布教しました。理音と満也が十八歳の誕生日を迎えたとき、三人組は某結婚情報誌を寄贈したといいます。そうして皆末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。