愛などいらぬ
タピオカ
諸君! 愛とは何かね?
いや、このように高らかに「諸君!」と呼びかけたとて、勿論、腐れ大学生である私の周りには誰もいない。この狭い部屋で私の世紀のスピーチを静聴しているのは、せいぜい部屋の隅っこで強かに繁茂している黒カビ群のみである。
一体、隙間風が吹きすさぶだけのオンボロアパートで、何が主張できると言うのか。こやつは、空腹のあまりゲテモノでも食したのではあるまいな。それとも世間がクリスマスムードなのがしゃくに障ったのか?
あなたは、そう思って私のこの行為を愚行だと決めつけるのだろう?
ハッ、失笑。失笑。思想に煌びやかなステージは必要ないのである。思想に革命を起こすには紙とペンも必要ない。己の声のみで十分である。キリストだって釈迦だって有名な宗教の教祖は皆、声から始まっている。孔子は勝手に弟子が本にした。
え、一番大切な聴衆が入って無い? そんなの休日のハチ公前で拡声器でも使えば良いだろう。まぁ私はそんな類人猿と化した陽キャじみた蛮行はしない。目立ちたいからといって、ハロウィンで軽トラを横転させたりなどしない。目立たずにひっそりと革命を起すのが目標であるからだ。陰キャだと? フィクサーと言え、馬鹿者。
え、ツイッター使え? 君は天性のアホウだな。ネットなら痕跡が残ってしまうだろうに。酔った勢いでポエムを投稿してしまい、朝起きたら死にたくなったやつを見たこと無いのか? しかもそれが何故か拡散されていると知ったときの絶望感と言えば……。あぁこれは私の話で無く、友人のN君の話だ、あしからず。要するに消せないのが気に入らないのだ。てか、あんまりフォロワーいないし……。
おっほん。無駄な思考が漏れてしまった。さて、話を戻そうか。
愛。
この、漢字一文字はケルマディック海溝のように深く、タクマラカン砂漠のように壮大な意味を抱えている。
何でもかんでも「深けぇ……。その意味、まぢ深いよ……」とかいう浅い主張を振りかざすDQNだと勘違いされたくないので、ちゃんと論理立てて私の見解を述べておこう。耳をかっぽじって聴いておくがいい。
うだうだと過程を述べるのは、多分あなたは嫌いなはずだ。なので、結論から言おう。
『愛などいらぬ』
これに尽きる。これしか無い。これだけで十分だ。三段活用がウザい? 知ったことか。
言い方を変えると、
『愛や恋は、そこまで大したものでは無い』と言うことだ。
愛とは英語で言うとラブである。そしてラブとライクは違うらしい。
ふ~ん。で? だから何だ。B級シンガーの歌詞か。
言葉の意味が持っている微妙な差異に、わざわざ意味を付け足すのは平安貴族だけでいい。平安貴族=暇人であるので、つまりお前は暇人だ。
夏目漱石はアイラブユーを「月が綺麗ですね」と訳したらしい。全く、漱石はオシャンティな訳を考えるものである。
だが、漱石の小説を現国の授業でしか読んでいない奴ほど、このトリビアを濫用する傾向にある。文化人でも気取っているつもりか。「ソーセキ知ってる俺カッコウィイ」とでも思っているのだろう。そんな薄っぺらなヤツにピッタリなアイラブユーの訳を贈呈してやろう。
「顔が綺麗ですね」
ほら、即物的な気持ちを十二分に表現している。なんと良い表現を思いついてしまったのか! 自分の才能が憎い!
また、愛はすぐに憎しみに変わる。嫉妬なんて可愛いモノだ。
愛故に人は人を殺める事が数多くある。毎週人が死ぬコナンだって、動機の七割が痴情のもつれだ。
だから愛などいらぬ。愛は汚い。
――むな、しい?
貴様何を言うか! 虚しさなどみんなで愛でれば怖くないだろう!
愛などいらぬ、と言ってるそばから『愛でる』とか使うあたり私も修行が足りない。
人は幸せになるために生まれたと、誰かが言った。
またある人は、人は他者を愛するために生まれたと言った。
しかし、人を愛することが幸せではない。
幸せとは星が降る夜とウンたらかんたらではなく、他人の不幸で出来ているのだ。他人を下に見てわずかな優越感に浸る、これこそが人間本来の幸せのあり方だろう。
自己満足? そもそも人の抱く感情全てがただの自己満足でしかない。お前の幸せは他人から見たら自己満足だ。乙。
誤解の無いように言っておくが、私はべつにリア充が嫌いなわけではない。私よりも幸せそうに振る舞っている奴が嫌いなのだ。
ツイッターやインスタでたまに流れてくる、盲愛故に撮った『幸せ自己満オーラぷんぷん、承認欲求を添えて』写真。こんなの見て鬱陶しく思わない方がおかしい。
心の底から幸福なら、そんなくだらない幸せ工作をする暇も無いほど忙しいはずだ。知らんけど。
全人類が不幸だったら、不幸な人はいなくなるのに。
愛は世界を救うのでは無く、不幸こそが世界を平和にする。
人類皆不幸バンザイ。
お題 「愛情」