その芽生えについて。


     ヒヨコ


 私は大学へ歩きながら電話をしていた。相手はむくれているらしい。

『冷たいなあ。俺、嫌われてる?』

「嫌いなわけないよ」

『えっ?』

「嫌うほどの思い入れも、思い入れを作る積極的理由もないもの」

 知り合って三日の相手に何かの感情を期待するのがそもそも非理論的だ。それだけの意味で他意はなかったのに、なぜか沈黙が流れた。

『……もういいよ』

 通話が切られ、スマホをしまっていると、後ろから声をかけられた。

「またフラれたの?」

 友人の聞き慣れた声だ。

「そんなんじゃないよ」

 少しむきになって言い返す。彼女は笑いながら横に並んで歩き始めた。

「あんた、どうせまた変な理屈こねたんでしょ」

「変? 破綻してるってこと?」

「だからあ、そうじゃなくて」

「何よ。私のモットーは『すべての事象は』……」

「『理論で証明できる』でしょ。はいはい、ドラマのパクリね。ねえ、あたしはあんたを心配してんの。さっきの人もいい人なのに」

「大学は学校だよ。人間関係を重視しすぎるのは非理論的よ」

 そうやって言い争っていると、いつの間にか大学の敷地内に入っていた。中庭の芝生を横断しようとしたが、ど真ん中で一人の男子大学生が寝ころんで地面を見ている。

 友人がささやいた。

「あの人ウチのゼミの先輩だわ。また草見てるのかな」

「草?」

「あの人、草好きなの。ゼミ室で育ててる」

 確かに彼はやけに真剣だ。科学者の目。

 気になって近づきかけると、友人に止められた。

「やめなよ。あの人変人だから」

 それを無視してそっと彼の手元をのぞいた。

「おもしろい草があるんですか?」

 彼は顔を上げ、真顔でうなずいた。

「見てみる?」

 誘われて見てみると、芝生のはずが、何種類もの雑草が混ざっている。そう言うと、彼は目を輝かせた。

「鋭い! 三年前は違った植物が多かったんだ。気候にもよると思うんだけど、僕の仮説は土の変質が……」

 彼が語りだす。私はいつの間にか引き込まれていた。生き生きと話す様子にも、もちろん話の理屈っぽさにも。

「……っていう。あ、ごめん。つい長々と……」

 彼が肩を縮めているのを見て、意外に時間が経ったこと、友人ももういなくなっていたことに気づいた。でも。

「いえ。またお話聞かせてもらえます?」

「え?」

「また明日、ここで会いませんか」

 どきどきして返事を待っていると、彼は首を傾げた。

「……君がいいなら、ぜひ。でも、なんで?」

 私は正直に答えた。

「恋愛感情の芽生えを理論で表せることを、自分で実証しようと思って……」