ヒヤマフトヒト


          むべ





001
皆さんは哲学者、現代社会の倫理などで習うデカルトのこんな言葉を知っているだろうか。おそらく一度は聞いたことがあるだろう。「我思う、ゆえに我あり。」英語で言えば「I think ,therefore I am」だ。世の中のありとあらゆる物を真実かどうか疑ってゆき、真実かどうかと残るのは物を疑っている自分のみ。ゆえに自分は真実で、この世に存在する。とまあ簡単に言えばこんな内容だ。果たしてそうだろうか?と俺は今では疑わずにはいられない。疑っている自分も「真」といえるのだろうか。そもそも「真」というのは何だ?と考えてしまう。まあつらつらと述べてきたがこんなのはただの戯言だ。聞き流して頂きたい。今までのはプロローグという名の物語。さてここからが本編である。今では本編かすらも疑ってしまうが。

002
今は昔。竹取の翁というものありけり。ではなく。今は平成。スマホの普及やばけり。野山にまじりてもスマホいじりつつ、よろづのことに使いけり。な現代の4月。ちなみにこの竹取物語のパロディは本編とはまったく無関係である。ところで、桜舞い散る4月といえば自己紹介シーズンである。進学、進級にあたり、一番初めに行われることといえばこれである。自己紹介というのはそれだけで一年間のその人のイメージが決定するものだ。先入観というものはクラスメイトに大きな影響を与える。この自己紹介とは自分を学校生活をつつましく生活する人間、いいや自分は学校生活エンジョイするぜ、と激しく自己を主張するために行うステージなのだ。 

「霧嶺中学から来ました阿部一也です。趣味は寒風まさつです・・・」
聞き間違いだろうか。俺には趣味がとんでもないものに聞こえたのだが。趣味寒風まさつってなんだよ。おっさんか。翁か。もしかして夏、海とか行ったあと寒風まさつやんのか?自殺行為だぞそれは。体中の背中という背中の皮べりんべりんだぞ。
もはや自己紹介一人目からインパクト強すぎて倒れそうである。いや、落ち着け。大抵高校になったらこういう変な奴一人はいるものだ。気にするな、俺。おそらく阿部くんはグレたかったんだよ。高校デビューってやつだ。きっとタオルでべちんべちん喧嘩するんだよ。ってそれグレれてねえよ。めっちゃ健康的だよ。褐色の小麦色の肌手に入れちゃうよ。道端で寒風まさつしてるヤンキーがいたら応援したくなるわ。
ヤンキーとかヤンキーとかの話をしているうちにいつの間にか自己紹介は俺の番になっていた。前述のように一発目が肝心だ。
「湯殿中学から来ました!備中 全です!趣味は夏の海に行ったあと体中の背中という背中を寒風まさつすることです!!!」
寒風まさつというのはめちゃくちゃ痛い。俺はいわゆる世間で言うところの「マゾ」という類の人種であるかといえばそうとも言えるかもしれないし言えないかもしれない。痛い行為を自らやっているわけである。あとグレたいわけでもない。だが今はマゾの話をしているべきではない。それより大事な深刻な問題が発生した。出席番号1番、阿部くんとキャラが被ってしまったのである。学校生活、とりわけ高校生活においてキャラが被るというのは大きな痛手である。キャラが被ってしまった場合、よりキャラが濃い方が目立つ。敗北した方はどうなるか、もうおわかりだろう。つまり俺と阿部くんは「寒風まさつキャラ」としてこの一年間しのぎを削る、いや皮膚を削るのである。
まあ俺の話はさておき、他のクラスメイトの自己紹介も聞かなくては。さてさて。俺の隣の席の子は
「宇賀美中学から来ました、茶柱 詣です、高校生活は文武両道目指して頑張りたいと思っています、宜しくお願いします!」
めでたい名前だ。茶柱。日本では茶柱が縦に浮いた状態になることを茶柱が立つ、と言う。これを吉兆のしるしと考える傾向がある。

俺の備中とは大違いだ。雲泥の差、もはや宇宙ステーションとナメクジぐらいの差だ。ちなみに宇宙ステーションの軌道高度は370kmだ。
「ねぇ」
とても縁起いい子に話しかけられてしまった。俺なんかが話してもよろしゅうございますか
「ナメクジですいません、なんでしょう、うちゅ、ISS様」
ISS?それって宇宙ステーションのこと?」
し、しまった!つい
「い、いや、俺の敬愛する俳人、小林一茶先生『ISSA』のことですが」
く、苦しい言い訳だてか言い訳にすらなっていない。宇宙ステーション様でもおかしいが小林一茶様とかもっと意味わからねえぞ俺。ところでISSAって機械や元素の名前でありそうだ。「イッサントリウム」みたいな。ついに一茶先生は俳句以外の業界にも手を出したようです。彼の今後の活躍が期待されますね。てか高校生で俳句好きな奴なんているのかよ。
「えっ、ほんと!?小林一茶好きなの!?」
前言撤回。食いついてきたぞこの子。このご時世俳句好きなんて驚きだ。風流ですな。
「う、うん、大好きだぜ!」
「俳句好きな友達ができて嬉しいなぁ!私茶柱詣、チャゲって呼んで?よろしくね!」
チャゲだと。チャゲといえば今話題のあの人が脳裏に浮かぶのだがあの人だよグラサンじゃないほうだよというよりあの人しか浮かばない。
「ま、まさか友達にクスリとかしてる奴いないよな?頼む!yesと言ってくれ!Say yes!」
yes!いないよ!」
「いや、いないならいいん・・・」
「だって私友達いないもん」
「えっ?」
「友達、いないんだ。」
「ごめんぼっちだったかそうか。」
「い、いや・・・そういう意味じゃ・・・」
「いいんだ、何も言うな。俺はわかってる」
「ドヤ顔しないで!」
「これから君はぼっち+ちゃげ、ぼっちゃげだ!」
「何か日本の妖怪でいそうな名前だね!」
「きっと鬼太郎の仲間だな!きっとぼっちゃげの親父さんは目玉おやじならぬ・・・白玉おやじだな!」
「おいしそう!」
「杏仁豆腐とかに入ってるから湯呑じゃなくてお洒落なカップで入浴するだろうな!」
「白玉だもんね!」
「で・・・俺に自分から話しかけてくるような・・・チャゲみたいなフレンドリーな奴が友達できないのか?んなわけねえだろ?」
「あ、言い方が悪かったね、『友達』はまあいるけど『真の』と呼べる友達はいないんだ」
まてよ。言い直したらますますわからんぞ。「真の」ってなんだ「しんの」って。「すけ」をつけたら野原家の少年になっちまうぞ。
「よくわからないんだが?」
「バカじゃないの?青酸カリ飲ませるわよ?」
罵られた。なんか知らんが罵られた。コイツSっ気あるのか。そんなもんわかるかよ。しかもなぜに青酸カリ。青酸カリといえば「見た目はコナン!頭脳は新一!」の作品によく登場している気がする。
「『真の』ってのは私の中では心から信用してる友達ってことだよ」
「?友達ってのは大抵信用してるもんじゃねえのか?そんな友達がいないってことはチャゲ、人間不信?」
「人間不信・・・まだまだ甘いね」
「は?」
だめだ、コイツの言っていることがよくわからない。人間不信・・・?まだ甘い?そもそも人間不信より上って何のことだよ。
「あえていうなら私は・・・そう、現世不信だね」
「現世・・・不信・・・」
現世。つまりこの世のすべて。文字通り人間だけじゃなくてこの世の何もかも信用してねえってのか。
「そう・・・この世の何もかも信じられない・・・例えば今の時間は10:05だよね?」
「あ、ああ・・・」
「この時間って本当なの?」
「え・・・?」
「もしかしたら私以外の人類全員が共謀して私に嘘の時間を教えてるかもしれないでしょ」
「っ!」
確かに時間ってものをちゃんとこの目で見た人類はいないだろう。だが見る必要もないしそこまで疑う必要があるのか。全人類が共謀してるだと?そんなことをする意味があるのか。
「そんなことして何になるんだ?実はチャゲは超危険人物だったりするのか?」
「まさか・・・それならもう殺されてるわよ。でも嘘をついていないとは言い切れないでしょ」
「確かにそうだけど・・・でもそこらへんの人に聞いたら10人が10人、共謀なんかしてないって言うぜ」
「そりゃあそこではそういうかもしれない。でも人間には『嘘』っていう立派な武器があるじゃない」
嘘。FAKE。人間はこの嘘という技術を酷使して、原始から生き残ってきたのだろう。古代、生活するための対動物に使われた罠、トラップも嘘といえるかもしれない。そして人間同士で争っている時代。駆け引きは嘘だらけだ。今の時代も振り込め詐欺などの犯罪も、というより犯罪=嘘、のイメージがついてしまっている。更には遊びまでも。「ダウト」というトランプゲーム。あれも嘘を利用する。嘘嘘嘘嘘嘘。この世は嘘で満ち満ちている。その嘘を暴く第一歩、それが「疑う」ことだ。しかしこの少女の「疑う」ことは度が過ぎている。この世のすべてを疑う?正気の沙汰じゃない。
「嘘の可能性もちゃんと考えて生きていかないとね・・・まあそういうことだから。また明日から、1年間よろしくね」
「お、おう・・・こちらこそ。」

と言って現世不信の少女は去って行った。やはり高校。変な奴はそこらにいるものだ。