この地下鉄はフィクションです3


              ヒヨコ


CAST

鈴野涼也…県立N高校二年生男子。

三菅久美…学校帰りの「僕」こと涼也とよく地下鉄で乗り合わせる、私立お嬢様女子高校の生徒。地下鉄の学園都市駅で降りる。涼也は密かに「ミス・学園都市」と呼んでいる。



 もうすっかり早くなった夕暮れの光が、窓から差し込んでいた。僕と、ミス・学園都市こと三菅さんは、待ち合わせてもいないのにまた出会い、地下鉄の扉近くで世間話をしている。彼女との話は楽しいのに、今日の僕はあいにくと寝不足だ。

 ──あーあ、眠い。

 そんないつも通りの放課後の地下鉄内で、ふと彼女が声をあげた。

「あら? 鈴野さん、あの人は……」

「え?」

 三菅さんが遠慮がちに示す先に僕も目をやった。

 僕らと同じ、学校帰りらしい女子高生が立っていた。白いブラウスに薄いグレーと赤のチェックのリボン、濃いグレーのスカート。黒のカーディガンを羽織っている。

 その女子高生に何やら話しかけているのが、一人の女性だった。私服のところからして、女性は大学生だろう。会話は遠くて聞こえない。

 僕はしばらく考えたが、その二人には見覚えがなかった。

「あの二人、三菅さんの知り合いですか?」

 三菅さんは小さく首を横に振って、逆に聞き返してきた。

「いえ、大学生らしい女性の方だけです。覚えていませんか? 一ヶ月前ですよ。ほら、制服を知ってるかって言われたでしょう」

 ──一ヶ月前?

 僕は頭の中で時間を巻き戻した。

 ──そういえば、そんなことがあったかな……。



 一ヶ月前の学校帰り。

 その日は地下鉄が少し空いていた記憶がある。この分なら空席があるかもしれないな、と思って僕が車両を移動すると、三菅さんがちょんと座席に座っていた。

「ああ、鈴野さん」

 僕と目が合って、小さく会釈してみせた。

「あ、こんにちは」

 三菅さんに会釈を返し、僕は座っている彼女の前に陣取った。空席はないので、吊革につかまった。

 改めて僕を見上げた三菅さんは意外そうな顔になった。

「鈴野さん、今日はネクタイですか?」

「僕の高校は私服可の学校ですから。知り合いにネクタイをもらったので、してみました」

 僕の部活の先輩が、いらないからやると言ってくれたものだ。彼いわく、

『この手のネクタイはイケメンしかしちゃいけないのに……、って女子に言われてさ。ため息までつかれたんだよ。あ、だったらお前も無理だったか、悪い悪い。もっとイケメンにやればよかったかな』

 ──そう思ってるならどうしてそれを僕に押しつけるんだ。

 と、思いつつも、ネクタイを結んでみたくて結局してきてしまった。首の下でぷらぷらと揺れている、グレーに赤が入ったチェックのネクタイをにらんでいると、ふいに、女性に声をかけられた。

「あの、すみません。その制服……」

 僕と三菅さんが同時に声の方へ目をやると、大学生くらいの女性が遠慮がちに僕をうかがっていた。

「はい?」

「その制服……ネクタイって、どこの学校のですか?」

 明らかに年下の僕に向かっても敬語を使っている女性にどこか好感がわいた。だから僕は丁寧に答えた。

「ああ、これは制服じゃないですよ。ネクタイは自前なので、いわゆる『なんちゃって制服』です」

「そうなんですか……」

 あからさまにがっかりした女性に、三菅さんは興味をひかれたようだった。

「どうしましたか? グレーと赤チェックのネクタイの制服の学校を探している、ということですか?」

「いえ、ネクタイというか、女子なのでリボンです。ブラウスは白の無地、リボンはグレーと赤のチェック、スカートは濃いグレーなんですよ。あと、黒のカーディガン。わたし、そういう制服を着た子を探してるんですけど、目印はそれくらいしかなくて。一回しか会ったことないから……」

 僕はうーんと考え込んだ。

「そういう制服の学校は、僕は思いつかないですね……。三菅さんはどうですか?」

 ちらっと三菅さんを見ると、彼女も難しい顔をしていた。思いつかないらしい、と思うとふいに彼女はその顔のまま僕を見上げた。

「見たことがあるような気もします。でも、学校とは結びつきませんね」

 そうですか、と落胆した女性に向かって、三菅さんは申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません、私も制服にそれほど詳しいわけではないので。でも、その服も制服とは限りませんよね。それこそ『なんちゃって制服』の可能性も……」

 そこまで言ってから、三菅さんは急に黙って考え込んだ。僕と女性が顔を見合わせていると、三菅さんが一人で小さくうなずいた。

「そう、その服が『なんちゃって制服』だという可能性を考えるなら、お探しの生徒を見た日と同じ曜日、同じ時間前後に地下鉄に乗ってみるのをおすすめします。特に曜日は注意してみて下さい」

 やけに自信ありげな三菅さんを前に、僕と女性は再び顔を見合わせて、首を傾げた。


 僕は回想から戻って、うなずいた。

「そうだ、そんなことがありましたね。確かにあの人、言われてみればあのときの女性ですよ」

 ──三菅さん、よく気づいたな。

 僕の言葉を聞いているのかいないのか、三菅さんは例の二人を観察している。僕もそちらに目を向けた。

 女性が何かを言い、女子高生が顔の前で手を振った。穏やかな雰囲気だ。

 と、次の駅に着くアナウンスが流れ、女子高生がスクールバッグを肩にかけ直した。

 ドアが開き、女子高生が降りていくのを女性が見送る。女性と女子高生は別れ際、お互いにぺこりと頭を下げた。

「何だったんでしょうね?」

 僕がそう三菅さんを見かけたとき、ふと視線を車内に移した女性と目が合った。

 女性は僕と三菅さんのことを覚えていたらしく、僕らを見つけて、あ、と口を動かした。

 三菅さんもそれに気づき、僕を見上げた。

「何だったのか、気になります?」

「まあ、少し」

「そうですか。私も少しです」

 言い残して、三菅さんは女性に向かって地下鉄の車内を歩き出した。

 ──おいおい、三菅さん……。

 僕も後を追う。僕らが十分に近づくなり、女性が三菅さんに声をかけてきた。

「おかげで『なんちゃって制服』の子が見つかりました」

「やっぱり、同じ曜日には同じような服で乗っていましたか」

 三菅さんは少々得意げだ。僕はすかさず一番の疑問点について質問した。

「どうして同じ曜日なんですか? 部活とかの関係を考えるなら、同じ曜日、同じ時間に地下鉄にいる可能性が高い、とかですか? でも一回しか会ったことないならそれも怪しいですよ」

 ──おまけに、それじゃ服が同じだって話と結びつかないし。

 僕の質問に、女性も同意した。

「確かに。どうして同じ曜日に見つかるってわかったんですか? わたしが二ヶ月やみくもに探してもわからなかったのに、曜日をしぼったら一ヶ月で見つかりましたけど」

 三菅さんが即答した。

「もちろん、時間帯の問題もあります。ですがそれ以前に、黒のカーディガンが引っかかりました。最近は『なんちゃって制服』に黒のカーディガンを着るのは少数派でしょう。ですが、私も学校に黒のカーディガンを着ていくときがあるんです。一週間に一回ほど」

 ──黒? 黒が便利な、曜日。

 そう思ったとき、僕はひらめいた。

「芸術科目の書道や美術を選択している場合ですね。黒なら墨がついても目立たないですし、時間割で何曜日にあるか決まっていますし」

 三菅さんは満足そうにほほえんだ。

「はい。可能性の問題ではありましたが、実際にそうだったようですね。まあ、書道の授業に真っ白のブラウスで行くのは、真っ白の服でカレーうどんを食べるようなものですから」

 うんうん、と僕も納得しかけて、

 ──え、カレーうどん?

 思わず三菅さんをじっと見てしまった。彼女がカレーうどんを食べているところを想像しようとしたが、できない。

「鈴野さん?」

「あ、いや、何でもないです」

 慌てて取り繕う。カレーうどんの話は今はいい。

 三菅さんが小さく片手をあげて、女性に向かって尋ねる。

「私も質問していいですか?」

 女性が返事をするより前に三菅さんは質問した。

「あなたは、あの女子高生に一度しか会っていない。名前も学校も知らない。なのに、どうして探していたんですか? 私は質問に答えたんですし、差し支えなければ教えていただきたいです」

 ──ちょっとちょっと、三菅さん。

 僕は内心慌てたが、女性はあっさり答えた。

「いいですよ。どうという理由でもないですけど」

 彼女の話は、今から三ヶ月前にさかのぼるらしい。

「わたし、人付き合いがうまくなくて。だから先輩とかには強く言えないことが多いんです」

 そのときもそうだった。夕方に地下鉄に乗っていると、大学の先輩から電話がかかってきた。

「『すみません、今地下鉄なので』って言っても『ちょっとだけだから』って延々と続くんです。一方的に切っちゃえばよかったんですけど、それも踏ん切りがつかなくて。すぐすねる先輩ですし、怖いですし……」

 女性が困った風で電話に出ているところに、例の女子高生がやってきた。わざと電話の向こうに聞こえるくらいの声で、

「『あの、地下鉄の中ですから電話はよくないですよ』って注意してみせてくれたんです。さすがに先輩も黙ったので、わたしも電話を切れたんですよ」

 降りる直前の女子高生に、あの、と声をかけると、女子高生は振り返ってにこっと笑い、返事をした。

「『ただの通りすがりのおせっかいですよ』って。でもお礼が言いたかったので、探していたんです」

 そこまで聞いて、三菅さんは女性に頭を下げた。

「わざわざ教えていただいて、ありがとうございます」

 僕も並んで小さく頭を下げた。


 女性が降りていった後、僕は、最後にできた疑問を三菅さんにぶつけることにした。

「あの、三菅さん」

「何ですか?」

 僕はせいぜい言葉を選んで、尋ねた。

「今日は妙に、好奇心でいっぱいじゃありませんでしたか?」

 普段の彼女は、別にわざわざ事件に首を突っ込むことはない。むしろ、途中で勝手に地下鉄から降りていくくらいだ。

 ──だから、今日みたいなのはめずらしいよな。

 三菅さんがぴくりと動きを止めた。それから、深くため息をつく。

「……鈴野さん、鋭いですね」

「それはどうも」

 僕が適当に相づちを打つとと、三菅さんはちらっと僕をにらんだ。

「だって、鈴野さんが眠そうで、退屈そうでしたから。何かおもしろいことでもしてみようと思ったんです」

 今度は僕が動きを止めた。

「え、僕が寝不足だって気づいてました?」

「当然です」

 少し間を空けて、ミス・学園都市は不機嫌そうに付け加えた。

「一年半の付き合いがあれば、見ればわかります」

「……今は、眠くないです」

 僕はささやかに反論して、窓の外に目をやった。

 ミス・学園都市に出会ってから、一年半の付き合い。

 ──悪くない。

 今日のあの女性と女子高生のような、通りすがりも悪くない。

 でも、付き合いがずっと積み重なっていくのも、それよりもっと悪くない。

 そのとき、車内アナウンスが流れ始めた。

「次は、学園都市。学園都市です」

 三菅さんに目を戻すと、彼女はドアの前に立っていた。地下鉄が減速し始める。

「あ、そうだ」

 僕はもう一つの疑問を思い出した。

「三菅さんって、カレーうどん食べるんですか?」

 不機嫌さはどこかへ消えて、彼女はふふっと笑った。

「さあ、どうでしょう。鈴野さんこそ、例の赤とグレーのネクタイはどうしたんですか? 最近しているのを見かけませんが」

 お互いにじっと相手を見て、ぷっと吹き出す。

「僕にはあのネクタイ、似合いませんから」

 地下鉄が止まって、ドアが開いた。三菅さんが真顔で首を横に振る。

「そんなことありません。よくお似合いでしたよ」

 ──え、本当に?

 ちょっと嬉しい。

 その間に三菅さんは地下鉄から降りていった。ドアが閉まって、我に返った。

「あ、三菅さん。カレーうどん食べ……」

 地下鉄が発車する。僕はドアの窓ガラスにはりつき、夕陽の差し込む駅のホームと、そこに立つミス・学園都市を名残惜しく見つめた。