十三歳の恋愛観
海洋渡
恋。恋とは何だろう。
十三年も生きてきて、ユッカはそれが分からない。
閉ざされた世界で生きてきた。のだと、思う。周囲には同性しかいなかった。というより、ユッカは異性というものを見たことがなかった。それが少しばかり不自然なことだというのを知ったのだって、つい最近だ。何年か前にここから出て行った知人が、ある日ふらりと訪れて、今は子供がいて云々――という話をしたのがきっかけだった。
「こども……?」
きょとんと聞き返したユッカに、彼女はくすくす笑った。
「あたしもいい年だけど、素敵な相手に巡り合えてね。その彼との子供」
「かれ」
それが男性を指す代名詞だということは、知識として知っていた。
「外には、おとこ、がいるの?」
「そう、そうなの」
彼女はわざとらしく目をむいてみせた。
「びっくりよね。うじゃうじゃいるのよ、これが。この世の半分は男なんだって」
去り際に彼女は、ユッカの耳元に顔を近づけて、こう言った。
「あんたも、気をつけなさいよ。一生は案外短いんだから」
きょとんとするユッカに、彼女はあきれたように鼻を鳴らす。
「ぼんやりしてないで、恋愛のひとつやふたつ、してみろってこと」
恋って何――と訊くより先に、彼女はまた、連れていかれてしまった。
だから、ユッカはまだ、恋の何たるかが分からない。
そんなある日、ユッカが普段過ごしている広い部屋の壁に、一枚の絵が飾られた。触ることはおろか、眺めるにも首が痛くなるくらい高い位置で、ユッカはひいひい言いながら、やっとそれがどんな絵なのかを認めた。
くすんだ色調の中にぽつりと立つ裸足の子供。右手には口元の欠けた茶色の壺を下げ、そして左手に抱いているのは、白と黒の犬だ。
ユッカは最初、何ともむずがゆい気持ちを覚えた。よく分からなかったが、強いて言えば不快だった。さっさと背を向けて部屋を後にした。
次の日、ユッカは部屋をちらりと覗いてみた。絵は変わらずそこにかかっていた。少しの間、扉に隠れてそれを見つめていたが、やはり嫌になって、それきり部屋に足を向けなかった。
三日目、部屋に一歩、踏み入れてみた。やはりいたたまれない気持ちになって、引き返した。
四日目の朝、ユッカは、あのむずむずする感覚を気に入り始めている自分に気付いた。
一週間すると、あの絵の下で過ごすのが心地よくなった。ごろんと寝転んで、時々思い返したように絵を見上げると、得も言われぬほっとした温もりが滲んだ。じっと夕方まで待っていると、段々と窓から西日が回り込んできて、うとうとと眠気を誘う。絵に直接日が差すことはなかったが、橙色の反射がくすんだ絵をぼんやりと染めて、ユッカはそれがとても好きだった。
恋とは何だろう。
寝返りを打って、ユッカは少し、おかしくなった。
そんなこと、分からなくてもいいんじゃないかしら。好きだってことが分かっているなら。
「ユッカ、またここにいた」
部屋のドアを開けて、ぱたぱたとスリッパを鳴らし、少女が入ってきた。
「好きだね、この絵。私と一緒だね。素敵な絵だよね」
少女はぺたりと座って、寝転んだままのユッカの額を撫でながら、絵を見上げる。
「父さんに頼んで、複製を作ってもらってよかった。美術館に通わなくてもよくなったもの」
少女はそれきり、しばらく黙っていたが、不意に口を開いた。
「あのね、学校でね。ミキちゃん、知ってるでしょ、あの子にこの前、告白されたんだ。それで……よく分からなくなった。ずっとただの友達だと思ってたし……女子校だと、女の子同士の恋愛はよくあるって聞いてたけど、でも……ねえ、恋って何なのかな」
少女は端正な顔を、微かに緩ませて、ユッカを見下ろした。
「……ユッカに言っても分からないか」
ユッカは少女に抱き上げられ、左腕の中に納まった。
〈お題〉
『犬を抱き壺を下げる少女』に恋した十三歳