「我、聖徳太子。ぎゅっと抱きしめて」
タピオカ
長い間降っていた雨が一瞬、止んだ。
「虹綺麗だな……」
水滴が付いた窓の外には、鮮やかな七色のアーチが掛かっている。
本当にそれは色鮮やかで言葉を失うほど美しかった。
でもその美しさは今の俺には価値はない。
窓の外をかれこれ二時間ぐらい湿気た畳の上に寝転びながら眺めている。
ガチャリとドアが開く音がして、人が入ってきた。
分厚いレンズの近視用の眼鏡を掛けた男だった。一言で表すと不気味。不審者かも知れない。寝転んだまま戦闘態勢を取り威嚇する。
「何やつ!」
「我だよ我。お主のルームメイトの根津春樹だお。流氏、なんか辻から送られてきたんでござるが」
そう言って友人の根津が、ゆうパックを渡してきた。
その発送人欄にはしっかり『辻界人』と書かれている。
「あ? 何か爆弾でも入ってるんじゃない? アイツ、普通に危ないやつだから」
俺はテキトーに相づちを打った。本当に就職したんだな。ムカつく。
辻というのは、数ヶ月前にあるゲーム会社に就職した高校の同級生だ。
ご丁寧な事に輝く笑顔付きの内定通知の写真を送ってきやがった。ムカつく。
俺こと九谷流と腐れ縁の根津は就職できずに大学の寮でただ無意味に時間をつぶす生活を続けていた。所謂就職浪人ってやつだ。
大学は浪人も留年もしてないし、それに良い大学にも入ったはずだった。
まさか、こんな所に伏兵が潜んでいたなんて全く気づかなかった。
嘘だ。ホントは薄々分かってたのだろう。
俺たちが夏休みより長い春休みに遊び呆けていた時、エリート工学部のやつらは就活のエントリーシートを書いていた。俺は合コンの何かと勘違いして「何でクソ真面目な顔して書いてんの? そんなにリア充したいの?」なんて鼻で笑っていた。嗚呼その頃の俺を鼻で笑いたい。
数ある時間を無駄にした結果が今の俺だ。紛う事なき自業自得である。
俺はそんな自分にため息をこぼして、また横になった。
根津はそんなぐーたらな俺を見て、
「うん、さすがにあいつでも爆弾は入れないと思うから勝手に開ける。ビリィ!」
セルフ効果音を入れて豪快に包みを破いた。はい、うざい。
中身は一枚のpcディスクだった。只それだけ。手紙も黄金色のお菓子も無かった。
ディスクには、筆ペンで『ひすとりぃ☆らばぁーず』と書かれている。
「はぁ? 何だこれ?」
状況が掴めなくて、根津に尋ねる。
「これは……。おそらく題名から察するにギャルゲーでござるな」
としたり顔で根津。
ギャルゲェ? ああ、恋愛シュミレーションゲームのことね。
そういえば、こいつ重度のオタクだったな。その証拠に訳の分からんキャラクターが描かれたポスターが壁を占領している。まぁ同室だし、多少のプライベート関連の侵出は許容している。だがいっつも寝る時に眼がでかい女子と視線を交わすことになるのは勘弁して欲しかった。
「――で、どうすんだよこれ。その、これがギャルゲェ? だったとしてさ、俺はこういうのに疎いから根津、お前がやれよ」
「モチの論。あの会社の新作と聞けばやるしかないでござる」
嫌な顔一つせずに、根津はノートパソコンを立ち上げて、ディスクを入れた。
へぇ、辻ってそんな有名なゲーム会社に就職したんだな。へぇ……。
俺がささやかな嫉妬を燻らせていると、起動音らしき電子音が鳴った。
「ひすとりー☆らぶぁーず」
突如鳴り響いた和太鼓のBGMに混じって、野太い歌舞伎役者然としたタイトルコール。
ズンドコズンドコズンドコ……。
画面には教科書でよく見た、聖徳太子や伊藤博文、石川啄木など落書きされたであろう面々が、かわいらしい背景に鎮座していた。
「なんだ? 俺の知らない間にサブカルはここまで進化したのか?」
「う~ん。我もてっきり偉人の女体化だと思ってたのでござったが、まさかガチな本人演出とは……。やはり株式会社『偽善』は侮れんなぁ」
か、会社の名前からして胡散臭すぎる……。
何でそんな哲学思考する気満々な会社名で恋愛ゲーム作ってんだよ。
歪すぎてゲシュタルト崩壊しそうな画面をうつろな目で見ていると、
『ちょお、早く始めなさいよぉ』
男らしい声で可愛らしく催促された。シンプルな吐き気が俺を襲う。
「ほう、待機ボイス付きとはやるではないか。まぁ『偽善』にかかれば造作なきことではあるかな」
「誰得だよ、ホントに」
こやつ、やりおる……みたいな中ボスっぽい顔をした根津はマウスを動かして、スタートボタンを押した。画面が変わり選択肢が出てきた。さっきのタイトルより多くの偉人がほぼ無表情でこっちを見ていた。
「流氏誰を選ぶのだ?」
「誰でもいい。聖徳太子でも伊藤博文でも渡辺謙でも誰も変わらん」
「渡辺謙は変わると思うンゴ。じゃ、ルート的に聖徳太子からやりますぞ」
「はいはい」
根津はシャモジもどきを持っている聖徳太子をクリックする。
その瞬間大地を振るわす和太鼓の律動的なものがノーパソのちゃちなスピーカーから流れ出した。
芥川賞を取った作品が始まるような、そんな重厚な音で俺たちは思わず唾を飲み込む。
期待と未知のモノに対する恐怖心が入り交じった気持ちだった。
主人公は私立馬宿学園に転校してきた高校二年生。主人公の性別に関する記述は無かった。恋愛ゲームは男だけがするものじゃないしな。
それからの二時間は怒濤の展開だった。
色々あった。そりゃもう色々。三千文字じゃ書き切れないぐらい。
あらすじを簡単に説明すると、クラス委員長だった聖徳太子は、クラスで浮いてしまった主人公に積極的に声を掛けてくる。そっから委員長の慈善活動に主人公も協力していくことになって……。
まぁ、一言で言うと「色々あった」というわけだ。
最初は嫌々だった俺も一般文芸に負けず劣らずのストーリにだんだんと引き込まれていった。
さて、ラストシーンが近づいてきた。
巷でうわさの不良学生に聖徳太子がさらわれてしまう。
いくつもの試練、友情、努力、勝利的なものをジャンプして乗り越えた主人公が聖徳太子を救い出したシーン。彼は少年じゃなく、ヤングなジャンプをかましていた。
何で助けに来たのかを主人公に問い詰める聖徳太子。主人公は、「お前が大事だからだよ。言わせんな恥ずかしい」とテンプレツンデレ台詞を早口で言う。
それを聞いた聖徳太子は顔を赤らめて、両手を大きく広げた。
「我、聖徳太子。ぎゅっと抱きしめて」
隣の根津は何故か涙を流していた。滂沱の涙だった。ガッツポーズまでしていた。
BGMが笙に変わって、堅く力強い太鼓の音から柔らかく優しい音色が流れ出す。
紛うこと無きハッピーエンドだった。幸せの定義については突っ込むのナシ。
わざわざフルネームを言ったのはいつまでも主人公が聖徳太子を「お前」呼びだったかららしい。
エンディングが流れた。滝廉太郎の荒城の月だった。流れ終って数分後、
「おっ、我、誰かのためになりたいお。おっ、ニートなんか止める」
そうしゃくり上げながら語った根津の目は新たな輝きに満ちている。
彼はボランティアにでもなるのだろうか。それも彼の選択である。
しかし、杉田水脈問題よりも確実に生産性のない、ただ息を吸って吐くだけのニートな彼を変えたのはこのアホくさいゲームだった。
辻は、このゲームをする事で何かが変わると理解していたのか。もしそれであるならば万雷の喝采を送るしか無い。ブラボー。ブラボー。
じゃあ俺はどうなんだろう。俺の中では何かが変わったのかな。
よく分からないまま今一番思っていることを口にする。
「じゃあ俺は涅槃になるから」
俺はまた横になった。変わらなかった。俺のタマシイにニートの気質が染みついていたらしい。さっきまでの聖徳太子のせいで本当に涅槃になれる気がした。涅槃の意味をビックリするほどはき違えていたが気にしないでおこう。
窓の外には消えかかった虹が、まだこちらを覗いていた。
お題
「我、聖徳太子。ぎゅっと抱きしめて」