調和

 

  一

 

その日、学校が午前中に終わったので、久しぶりに祖母の家に寄った。以前は盆や正月に家族と行く程度だったが、高校から割と近いので、稀に一人で行くことがあった。

 

祖母の家にはよく本を借りに行った。大半は祖父の書斎にあった。祖父の書斎は雰囲気のあるところだった。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、大佛次郎、三木清、アラン、モンテーニュなどの全集類が、壺や皿とともに並べてあった。高校も近いから、ここに住みたいと思ったほどだった。

 

祖父は自分の生まれた頃には、この世にいなかったので、会ったことはなかった。埃をかぶった本棚を見ていると、よくこの本棚の持ち主に会いたくなった。どんな人だったか、よく想像してみるが、わからない。話を聞くと、もっとわからなくなる。市場で勤めて、若くして肺炎になり、それからは一日中床を敷いて、読書に耽っていたらしい。

 

祖母の家に着くと、食事を用意してくれた。甲子園を見ながら、昼食をとった。

 

「あんたも、サッカーしてたやろ」

 

「うん」

 

「なかなか、勉強との両立は難しいもんな。それに耐えれるだけの体力と才能がいるしな」

 

自分は不快に思った。体力と才能がないことは知っていたが、サッカーと勉強をするぐらいの能力はあると思っていた。

 

「そんなことを思って辞めたんじゃない。怪我もしたし、…第一、変わりたかった」

 

最後の方は、小さく言った。聞こえても聞こえなくてもよかった。

 

「あんた、怪我したっけ」

 

「したよ」

 

自分はどうでもよくなって、野球を見た。

 

少し見ると、今度は野球がどうでもよくなってきた。

 

「親に小さい頃、サッカー以外にも、もっと興味を持ちなさいって言われてね。その頃は全然気にせんかったけど、今になって、自分の無知が気になり始めて」

 

自分はテレビを見ながら言い始めたが、祖母を見ると、話す気がなくなった。自分の演説口調が嫌だった。

 

「まあ、兎に角書くのは好きやったし。文芸部もええよ」

 

「えっ、そうか、そんならええなあ」

 

「うん、ええよ」

 

「よかった、今日は本取りに来てんな」

 

「うん」

 

「ほんなら、好きなだけ持って帰ってええよ」

 

「うん」

 

そういってからも、自分はなかなか見に行こうとはしなかった。

 

「どうしたん」

 

「いや、あのう」

 

「うん」

 

「最近恋人ができたんよ」

 

「あんたに」

 

「うん」

 

「へえ、そうか、それは結婚を前提に」

 

「僕はそのつもりやけど、まだ学生やから、そういう約束はかえって軽い感じがする、どう言えばいいか」

 

「気立てのええ人か」

 

「十分や、十分」

 

「へえ、そうか、それはよかった」

 

祖母は、何度かそういった。それから少し話を続けたが、ふとした時に、今話している祖母には、夫のもういないことを気付いた。祖父の死んだことは知っていたが、祖父を祖母との関係で考えたことは、たぶんなかった。自分もいつか死ぬ。自分も置いていかなければならないのか。自分は祖母の逞しさを思った。そして労われるものなら労わりたくなった。でもそんなことは言わなかった。

 

「あんたと、こんな話ができるようになってんな。あんた、目が悪かったから、小さい頃はやんちゃやった。情緒が安定しないというか、まあ、眼鏡かけるようになってから落ち着いたな」

 

「うん、僕は生まれつき目が悪いから、自分の目が、いいか悪いかなんてわからなかった、人間の目がどこまで見えるのかも」周りの人は自分が冗談をして、ものの見え方を違う風に言っていたものだと思っていたらしかった。

 

「まあでも、ほんとに変わった」

 

「うん、成長したわ」

 

「小さい頃の自分と今の自分は本当に同じなのかどうか」

 

祖母の店のブザーが鳴ったので、自分は二階に本をとりに行った。

 

用が済むと家を出た。

 

祖母と別れてから、駅への途中で車が横を通った。それを自分は急だと思った。冷やりともした。しかし、その車が特別荒い運転をしたとも言えなかった。なぜだろうと思った。兎に角、死にたくないと思った。生きたかった。それで死なないことは知っていたが、妙に命が感じられた。そして弱く思った。

 

その後も何台か車が横を通り過ぎた。その度に、過ぎてゆく車の後ろ姿をみながら「死なんぞ、そんな手にのるもんか」と呟いた。自分は馬鹿だと思った。

 

 

 

   二

 

穏やかな春の日だった。自分は人と公園のベンチに腰掛けていた。自分と彼女はほぼ黙っていた。しゃべりたいことはいろいろあった。しゃべろうと思うこともあった。でも、なんだか億劫だった。日差しで体が温かい。それだけで十分だった。

 

ジャングルジムに五六人の子供が騒いでいた。周りにも、走り回る子供がいた。賑やかだった。子供の遊ぶ姿は、いかにも無邪気で良いと思った。小鳥が餌をつっつくのと同じような気がした。言おうかと思ったが、突然男の子が遊具から落ちて、それはやめてしまった。

 

「あらら」

 

「あれは、痛いわ」

 

「痛そうやな」

 

「うん」

 

「大丈夫かな」

 

二人が見ていると、一回り大きい女の子が、倒れた男の子を抱き起しに来た。泣いている男の子を両脇から無理矢理持ち上げたのがいかにも粗末に思った。しかし、それで男の子が泣き止みかけたので、それが本当かとも思った。人体の扱いに慣れる医者や産婆が、雑に見えるのと同じで、あの子もそう見たのかもしれない。そう思うと、いかにも逞しい気がした。

 

ブランコの前に、母親たちが四五人子供を連れていた。抱っこしたり、手をつないでいた。

 

以前から、子供を連れる母親は大変美しいか、大変醜いかのどちらかだと思っていた。しかし、悪い気もしなかったが、いい気もしなかった。

 

彼女は少しずつ、最近料理をしていることだとか、自身のことを話し始めた。

 

その話はいかにも彼女本人らしいことだった。彼女が自身のことを話すのだから、「らしい」も何もあったものではなく、彼女の話す内容がそのまま「彼女」になるのには違いなかったが、自分の以前から見ていた側面が、話を聞くにつれても、あまりに何の変化もなく、反対にその側面として見ていたものが、大変色濃くなっていくのには驚いた。ひょっとすると、側面も正面もないかもしれない。そして自分は、その面が好きだった。

 

「だとすると、この人を知れば知るほど好きになっていく。うん。それしかない。それしかないぞ。」

 

自分は徒にそう思った。

 

困ったもんだと無理に顔を引締めようとしたが、どうしても笑みに変わってしまった。しかたない。出るなら、出ろ。投げやり気味になって、腹の底で、ことことと笑った。そのうち泣きそうになった。抑えようと思うと、それは割と簡単に治まった。涙も笑いも複雑だった。兎に角、自分はこの人だと思った。

 

そのあと、彼女の小さかった頃のままごとの話を聞いた。周りの子が父や母や子供役になったのに対し、彼女は自分役をしていたらしい。

 

そこにも自分は彼女を感じた。

 

「○○のまま恋ができて嬉しい」

 

彼女はそれを付け加えるように最後に言った。

 

「○○」は小さい頃からの呼び名だった。

 

さすがに涙が出そうになった。彼女の横顔から目をそらし、眼鏡をはずして、空を見上げた。

 

美しい。一層泣きそうになった。

 

太陽、空、雲、鳥、ビル。それぞれの色や形が複雑で、一瞬受け入れがたく思った。しかし、自分には自分の心の敏感な、そして長年働かなかったある部分が開きかけているように思えた。これを逃すのは、どうかと思った。そして、もどかしくも、思考を止めた。

 

そうすると、かえって何もかも分かるような気分になった。自分は、空に何も働きかけなかったが、空はすぐそこに美しく存在した。同時に、思考で働きかけても、何にもならないことを感じた。自分は、何度も見てきたから、空のことを知っているつもりでいたが、まるで知らないと思った。

 

太陽、雲、鳥、ビルも自分から離れていった。地上を見てもそうだった。

 

しかし、突き放されたような気分は持たなかった。世界がすぐそこに美しく存在することを確信できた。独り独りで立つ個々の事物を逞しく思い、思考を越えた調和を感じた。

 

涙が出そうになったのは、彼女の溌剌と自分を生きる姿に比べ、変わろう変わろうとする自身を嫌う自分の姿が卑しく思えたからなのか。そうではないと思った。ただ自分は好きだと思った。

 

「○○が好きだ、○○のありのまんまがいい」

 

今頃になって、必死で涙を抑えようとしたのを後悔した。自分は感情を抑え込むのが嫌だった。自分を騙すような気がした。

 

自分はそれを何度も繰り返した。こういう種類の言葉は、自分には不慣れだったので、もう少し上手く言えないものかと思った。いかにも壊れた人形だった。自分はそれを言っている間、彼女の方を見なかった。言い終わった後も、見ようとは思わなかった。しかし、彼女が何も言わなかったので、少し不安になった。

 

ふと眼の端に、ぶらぶら幸せそうな足が見えた。

 

涙が出そうになった。

 

咄嗟にそれを止める自分がいた。その咄嗟の行為を悔いる自分もまた同時にいた。

 

「しゃあないな、そんな心の喧嘩はよそう」

 

そう割って入ってきた感情に自分は驚いた。

 

涙は出なかった。が、どちらが勝ったということもなかった。自分にとっては、どちらの感情も可愛いもんだと思った。

 

「しゃあないな、しゃあないな」

 

彼女の足は、まだぶらぶらを止めなかった。

 

「しゃないな、しゃないな」

 

これも可愛くて仕方がなかった。というか、こればかりはどうすることもできなかった。

 

 

 

家に帰ってから、なんだか落ち着かなかった。とりあえず、自分の書き癖に恃んで筆を執ってみた。

 

 

 

今何も考えずに筆を執り始めた。愛用の万年筆を原稿に滑らせる、その感覚に悩みに対する救いを求めて書いている。この悩みというのは、最近始終自分を取り巻いている。腹の中にもやもや存在し、何も怒ることはないが、鬱憤のようなものに近い気さえしている。でも、自分が抱えているのは紛れもない幸福である。幸福というものに対しての対処を僕は心得ていない。今日はそれが甚だしい。二時間ほど前にもらった幸福をどう処置するか、今頃になって悩みだした。というのも、僕は幸福を、二時間ほど前のその場で、自分の歪曲した解釈で片付けず、そのままの姿で至極自然に受け入れることができたからである。したがって、ここまで何度か書いてきた「幸福」というものは、自分の感情というよりも、世界の景物のような物質的なものに近い気がする。そして以前の自分なら、痛々しくて、まるで受け付けなかったものだろう。電車に揺られて帰る途中、眠っていたとはいえ、「幸福」が無事に家に着いたことに、驚きを隠せない。それほど儚いものだ。そこで問題がある。自分は「幸福」をこのままの形に放っておいて、自らの生活を送り続けることができないことを知っている。何とかして自分の感情に置き換えなければならない。一方で、ありのままの「幸福」のすがすがしい緊迫感というものが、自らの感情になる際、失われることを恐れている。だから、最初に書いたように、万年筆を原稿に滑らせる、その感覚に救いを求めて書いているのであって、「幸福」というものをこの紙面上で積極的に考察しようとはしていない。

 

 

 

自分はそのあと戯れに、好きだと、書いてみた。明らかに今まで書いてきた文字と調子が違った。薄く粗雑に書いた。誰にも読まれたくなかった。その文字を見ていると、妙に実感のこもっていることに気が付いた。文字に初めて、感情が追いついた気がした。そして、今までで一番いい文だと思った。

 

その後、自分は数行戯れを続けるしかなかった。そうして自分の心は落ち着いた。

 

「世の中はそんなに悪くないぞ」

 

そう呟いてみた。過去の自分に対してだった。実際は何もかも素晴らしい気分だった。自分が今まで何を見ていたのか不思議だった。自分は何か重いものを背負っていて、急にそれがとれたようだった。しかもその重いものは、自分が努力して太らせてきたもののように思った。

 

いつから、努力の重荷に甘んじて、世界を見なくなったのか。苦しみに快さを感じ始めたのは、いつ頃からだろうか。

 

兎に角、今の自分の心は調和的な方向に向かっている。そういう思いがした

 

 

 

   三

 

ある夜、自分は両親とちょっとした口論があり、家にいるのが嫌になり、暗い夜に散歩に出た。

 

親から言われたことに酷く傷ついていた。

 

親が誤解で怒っていることは分かったが、その誤解があまりにも悪いものだったので、誤解を解く気にもなれなかった。その反面最も気を悪くしたのは、そうとわかっていながら、誤解を解こうとしない自分の冷めた姿勢だった。親が邪推により話す度に、自分の内に湧いてくる憐み、同情といったものにほとんど憎悪さえ感じた。しかし、またその反面、誤解を解こうとすることはほとんど無理だとも思っており、そういう自分を肯定する考えもあった。理屈で説明するなら、易しかった。しかし、理屈で何でも関係が、上手くいくわけではなかった。一度不快になると、理屈は関係なしに悪い方へ考える習性は、誰にでもあることだと思っていた。だから、親の言ったことも本心ではないだろうと、割り切ろうとした。しかし、またそれも傲慢な気がしたので、親の言い分も頭の隅に置いておいた。

 

兎に角、時が解決してくれるだろうと思い、自分は散歩に出た。

 

小学校の登校路を歩こうと思った。学校までは二キロあった。

 

自分は考えすぎはよくないと思い、さっきのことは考えまいとした。

 

悪いようにとらなくていいことを悪いように考え、状況をもっと悪くする。そういうことは一番馬鹿なことだと思っていた。そして、大体の人間の喧嘩はそのようなものだとも思っていた。

 

この道を歩くと、小学生の自分を思い出した。あの頃はいじめたし、いじめられた。よく先生に怒られた。よく嘘をついた。よく喧嘩した。何もわからないまま、辛い時だった。今考えても、それは辛いに違いなかった。やったことは、今考えると、馬鹿げていて、何ともないはずだが、思い出すには、当時の自分の心で思い出す。あの頃の敏感で小さな心には、あまりに傷が多いように思った。

 

そんな過去と現在の自分は似ても似つかないと自負していた。成長することは変わることだと思っていた。そして自分が変わりたい変わりたいと願い続けてきたのは事実だった。変わると過去の自分はいなかったこのように思っていた。変わる度に過去と現在は、厚い壁で区切られるように思った。過去が見えないのは安心だった。今を生きるという言葉が自分をその方向に導いた。

 

満足が嫌いだった。変わって変わって、いつか立派な奴になってやろうと思っていた。いつかなれると信じてきた。過去を省みないで済む。それが、自分を生かした。しかし、そのいつかは永遠に来ないことを知った。昔の自分が嫌いで、それを変えようとする生き方だったら、人生はまさに塵の山になるだろう。今の努力が少し未来に行くと反省の対象になる、今を未来の反省のために生きることができるか、そうして未来を意識しだすと、自然現在の努力にも規制がかかる。そういう論理だった。

 

真暗な夜に光っているのは月と星所々の電柱だった。人家の光も疎らだった。春の初めだったので、静かだった。蛙も虫も鳴かなかった。自分は深呼吸で、冷たい空気を取り込んだ。身が締まった。自分の考えが悪い方向に進まなかったのは、今更のようにこの環境のおかげだと思った。自分の神経は殊によく休まった。

 

東の空に薄明るく見えたのは、明日の日かと思ったが、まだそんなときでなかった。だだっ広く開けた土地の向こうから、風の鳴ってくる音が聞こえた。草や木の葉の揺れる音で風の近づくのが目に見えた。

 

ゴオー

 

その風が自分の肌を包んでとき、生きねば、と涙が出た。

 

快い身震いの後、自分は過去から続く自分の姿を思った。

 

風は山を登って行く。

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