効能編!

 

「へぐっ…」

 

 突然呼吸を塞がれた。さんそメーターが一気に下がる。顔に貼りついた白いレジ袋をはがすと、エレベーターの扉はもう残り30センチしか開いていなかった。

 

「お先」

 

 ゆっくり閉じた隙間の中で、和渕がにゃっと笑う。あと15秒待てば隣のエレベーターが来るが、俺は買い物カートを大きくUターンさせた。向かうは裏の非常階段。ここからカートを走らせればざっと5秒ってとこだ。

 

『父ちゃーん!』

 

 画面右下に白い吹き出しが現れる。3階のお菓子売り場に置きっぱなしの息子だ。

 

 降りるのと、落ちるのと、どっちが早い? 俺は一か八かカートにまたがり、手すりの隙間から飛び降りた。割とうまいこと落ちていけたが、2階と3階の間でカートが手すりに引っ掛かる。俺がそのまま1階へ落ちるのと入れ替わりで、レベル78の息子は3階から買い物かごの中に飛び乗った。1階に着地して見上げると、気持ちいいくらいの身軽さでからからと階段を滑り降りてくる。俺は空から降ってくるねぎとトイレットペーパーを両手両肩でキャッチしたが、さらに落ちてくる卵のパックはキャッチボタンを連打してもエラー音が鳴るだけだった。

 

『まかせとけ!』

 

 一階まで降りてきた息子が、カートにまたがり手すりの上で一回転。着地するとかごの中には卵のパックがキャッチされている。息子はでんぐり返りして買い物かごに入り、その隙間にねぎやペーパーを差し込みながら俺は一気にレジへと突っ切った。――

 

 

 

 

 

「よっし」

 

 ゴールテープをきると同時に、俺はゲーム機から連打の親指を離す。かたぐるまされた息子の頭で、金色の「1位」の字がくるくるまわり、すさまじい紙ふぶきが画面を覆い尽くしていた。

 

「息子強いね」

 

「だろ? 親より強いよ」

 

 和渕の画面を覗き込むと、銀色の「2位」の字の下で和渕がカートをうじうじ転がしている。あんなに騙したり走ったり消されたりした後なのに、なんだかんだで二人俺ん家に集い、買いレス(買い物カートレース2)の通信ゲームで遊んでいた。なんだかゲームの中だったら、久しぶりに和渕に会えたような感じがする。

 

 ワクチンとして作られた和渕は、ワクチンとしての役割を終えて、もう俺のことをご主人様だの呼ばなくなった。というか俺の過去10年(くらい)の記憶的に言うと、和渕がそんなよそよそしかったのなんて一瞬の歴史で、俺からすればいつも通りの和渕に戻っただけだ。

 

「僕はね、名目上はミッションクリアなんだよ」

 

 負けても負けたって言わないところとか。

 

「俺のほうがレジ抜けんの早かったじゃん」

 

「クリアした後、自分が消え損なってるだけ」

 

「…あっああワクチンの、話か」

 

 一瞬本気で気付かなかった。なんだかあんなに心がざわざわしたことも、今思えばゲームの中の話みたいだ。いや実際ユメトムっていうゲームの中の話なんだけど。

 

「わららは、大丈夫?」

 

 わらら消すかもしれない本人に聞いてしまっていた。でも聞かないよりは、聞いた方が怖くないと思う。

 

「大丈夫、すずきが彼女のこと好きでいる限り、僕は彼女に手は出さないよ」

 

「あーそっか、そうゆー…」

 

 なんだこの大人っぽい会話。さっきまで小学生レベルのゲームしてたのに。

 

「ていうか、ある意味もう僕はワクチンじゃないんだ。複製して再インストールされた今の彼女は、名目上ウイルスとして認識されてないから」

 

「その名目上とかいうの、よくわからないんだけど」

 

「人間と機械は感覚が違うからね」

 

 和渕はわざとみたいに、さらっと言った。

 

「人間と機械が人間の機械でバトったらどーなんだよ」

 

「それは機械が勝つ」

 

「負けてんじゃん」

 

「たまたまだよ」

 

 和渕の手が横から伸びて、勝手に「もう一度プレイ」のボタンを押す。

 

「あ、俺まだ親指の休養が…」

 

「僕の親指は不死身なんだよー」

 

 とか言ってる間に画面いっぱい「開店!」の字がはじけ、俺たちは再びマイバック片手に駆け出した。

 

 

 

 

 

 結局その後俺たちは、トータル得点が1000を越えるまで買いレスばっかやり続け、勝ってる方がそろそろ終わろっかと言い、負けてる方が勝手に「もう一度」ボタンを押し、和渕のゲーム機の充電がやばくて充電器を使っていたら、俺の充電もやばくなって交代で使っていたら、どっちの充電もやばくなってそれでもあきらめずにやり続けていたら、

 

「すっずきー!」

 

 わららが風圧が起こるくらいの勢いでドアを開けた。

 

「あのね、もしもしだって~」

 

「もしもして、あ電話? てかおててケータ…あっ、えー今ちょ、息子がお菓子コーナーを暴走しててやば」

 

 わららが俺の口と耳をふさぐ。いや、ふさいだというか受話器代わりの手をかざしただけだが、俺はそこで喋るのが止まった。でもやっぱり息子をなだめるためにはこのコースを、

 

「もしもし、すずくん?」

 

「あ、はいそーです」

 

 やっぱり滴さんだった。生鮮コーナーを突っ切って右カーブする。

 

「はじめまして、わらちゃんの同業者の者です♪」

 

「………え」

 

 変だ。てことを理解するのに数秒かかった。とにかく今は残り925円で買い物ミッションをクリアしないといけない。

 

「中学校はどう? 慣れたー?」

 

「中学校は…慣れ、ん? ちょっと待って、俺今息子いますよ」

 

「息子?」

 

「あ、違うそれ買いレス、いやゲームの話。ちがうんです、え、もう中3です、のにあ~またレジ袋投げやがっ…じゃなくて、あのー」

 

「すずき、一回ゲームやめたら?」

 

「ほんとにな、いやすいません。あちょっと待って、こっちの肉の方が2割引シールが」

 

「通信せつだ~ん☆」

 

 突然視界から画面が消えた。右耳にかざしたわららの手が、俺のゲーム機をつかんで後ろへ放り投げたようだ。

 

「あ…」

 

 俺が画面を支えていた指たちを眺めている横で、和渕のゲーム機がピコンと鳴る。半径10m以内からはみ出したので、通信が切断されました。だそうだ。

 

 静寂の中、わららの右手が再び耳にかざされる。その手の中から、さーっという音が鳴る。何か睡魔からさめたような気分だった。

 

「今日のすずくん、面白いわね」

 

「すいません…ちょっと、俺ゲームするとだめなんです」

 

「そうゆう男の子がいいのよー♪」

 

 褒められているはずなのに、なぜか、なんとなく殺意を感じた。

 

「じゃあ結局、そっちのユメトムはほんとに中学校の入学式までリセットされたわけじゃないのね」

 

「あ、はいフツーに、引き続き中3のままです」

 

「だよねー、中1ボイスじゃないもん」

 

 ちょっと受話手から口をはなす。わかるんですか。

 

「ふふっあたしてっきり、わらちゃんが勢い余ってすずくんのこと殺っちゃったのかと思った」

 

「あー」

 

 …そっか。わららはこれで再インストールされたけど、嘘ついて報告したってことになる。

 

「あの、すいません、俺が悪いんです。死んでないのに死ぬとか言って、でわららが信じちゃったというか、ほんと、俺のせきにんで…」

 

 話しながら、その小さな左手に右手をかざして声をひそめた。

 

「じゃー、嘘ついたってこと?」

 

 滴さんが小学校の先生みたいに言った。

 

「はい」

 

 小学生みたいに返事する。

 

「嘘ついてたってことは、とーもくんに言う?」

 

「言…たほうがいんですか?」

 

「さーあ、あたし嘘ついたこと無いからわかんない」

 

 ぜったい嘘だ。とか思ってしまった。ぺろって感じで笑っている滴さんの表情が思い浮かぶ。

 

「嘘だったって言えば、「キノコ」の、殺さないの「コ」を破ってないことになりますか?」

 

「そうね。でも1回報告偽造した部下なんて、いつ切り捨てられてもおかしくないわ」

 

「ああ…ですか」

 

 だめだ俺、ちゃんとわかってないまま勝手に行動する。自分のした事がわららのためになってるだなんて、ウイルスの世界の仕組みも知らないで、俺は2回もわららにルールを破らせた。

 

「嘘ついてませんって嘘つくのが、一番正々堂々してるわね」

 

 わかりやすいようでわかりにくい滴さんのまとめ。

 

「えっとじゃあ、結局嘘だったってことは言わないってことですか?」

 

「そうね。不正な再インストールで生きながらえて、それをまた弁解して寿命を延ばすなんてかっこわるいし」

 

「寿命…?」

 

「あれ、すずくん知らないっけ? キノコはただのキノコじゃないのよ」

 

「キノコはただのキノコじゃない」

 

 くり返してみるとよけい意味わからなくなる。

 

「キノコのどれかを1回破ると、1回分の寿命が減る。2回破るとイエローカード、3回破るとレッドカードで退場、つまり消されてしまうの」

 

 消されてしまう。とかそんな言葉が出るたびに、後ろでずっと手をかざしているわららに聞こえてるのかなと思う。

 

「防災訓練で言ったら、「お」して、「は」しって、「し」ゃべったら、即殺されるってかんじですか」

 

「ふふふ、面白い訓練ね。「おはし」を守らない子は、最初から助かる価値が無いってこと?」

 

 何でもかんでも後ろのわららに聞こえたらだめな気がして、俺は笑ってごまかした。

 

 

 

 

 

 滴さんが電話を切って、和渕が家に帰って、さっきまで3人(ある意味4人)でゲーム騒動していた狭い部屋は、いつも通り俺とわららだけになった。

 

「すーずき、すーずき、すーーーずき、」

 

「なに」

 

「きゅふふふぅ」

 

 わららは両手を後ろに回して、頭と腰と三つ編みとワンピースをゆらゆら躍らせている。それの動きに合わせてかさっかさっと、背中側から何かの音が聞こえてくる。

 

「目ーつぶって!」

 

 思いっきり目を開きながらわららは命令した。言われた通りに目をつぶると、同時に口角も少し上がってしまう。なぜか、何だか、ふわっと嬉しい気持ちになった。わららが突然消されて、突然複製して現れて、それからずっとわららに会ってなかった気がしていた。

 

「ん…ふふ」

 

 小さくもれる笑い声から、まぶたの向こうの表情を想像する。わららの背中で鳴っていたかさかさ音が近づいてくる。俺が目を閉じたまま時々まばたきしていると、突然頭から何かを被せられた。

 

「ぶふ」

 

 うっすら目を開けると、視界が真っ白になっていた。右側にオレンジ色の何かが見える。ピントの合わない近さでよく見たら、それはスーパーのロゴだった。

 

「は…こえ、レジっくろ?」

 

 俺がわずかな空気の隙間でしゃべるたび、貼り付いた袋が振動して口がこしょばくなる。わららが俺の首をつかんで袋の口を密閉するから、喉らへんも温かくてこしょばい。さすが危ないのでマネしないで下さいって表示されるだけあって、徐々に命の危機を感じ始めてきた。

 

「ゲームの通信より、苦しいでしょ?」

 

 確かに、三十秒もしたら酸素の減り具合が絶望的だ。このまま続けたら本気で窒息するかもしれない、てことを言おうとしたが、これ以上この密閉空間内の酸素を無駄にするわけにはいかなっかた。

 

 もうその袋の空気が、自分の肺と変わらないように感じてきた頃、わららはばさばさ音を立てながら俺の首から上を開放してくれた。

 

「ふはあ…」

 

 少し湿った頬に、酸素が冷たく感じる。部屋の中の景色が、少しぬれたみたいにくっきり濃く見えた。全然動いてないのに、走った後みたいな呼吸になる。

 

「いきしてるねぇ」

 

 わららの目が近くに寄ってきて、俺はちょっと息するのを遠慮した。いや息まで遠慮してていいのかよ俺。

 

「またやってあげよっか?」

 

「ええー」

 

「じゃあやってあげる!」

 

 目の前の二つの目が、きゅうっと細くなる。瞳の中のきらきらが、ほっぺに押し上げられてもっときらきらした。

 

 

 

 

 

「なあすずき、あのー、えっと誰が、例えば隣のクラスとかの誰が、受験でさ、そのー、どこ行きたいーとかってさ、てかどの高校をさ、受験するとかとか、うんと例えばそのー、わららの友達とかでさ、そーゆー事ってさ、お前知ってたりと」

 

「鈴木さんがどの高校受けるかは知らないよ」

 

「えっ、あ、…そうかぁー」

 

 いきなりだけど次の朝、いつものように宮部:俺=5:1くらいの割合でしゃべりながら学校に行く。

 

「直接聞いたら?」

 

「うぇっ!? いいんかいな」

 

 何か関西弁みたいなってるって。

 

「そっか、じゃあ聞こう。受験はどの高校を受験するの?って聞こう。あ、でもそれじゃあ受験さんが受験するみたいだな。じゃあ鈴木はどの高校を受験するの?って聞こう」

 

 坂道を登るのに必要最低限の動きの5倍くらい無駄な動きを取り入れながら、宮部は俺の隣でじぐざぐ歩いていた。

 

 

 

 

 

「僕は再就職したよ」

 

「え」

 

 同じ中学の人がどの高校に行くかをどう聞いたらいいかを悩んでいる中学生の次に、一度就職していたがそれを辞めて次の職場を探している中学生に廊下で会った。

 

「いや、この中学生の世界じゃなくて、ユメトムの役割としてね」

 

 和渕が俺の心の中を訂正する。

 

「再就職って、ワクチンじゃなくて、何か違うことすんのか?」

 

「そろそろ進路選択のシーズンだからね。ご主人様のご意思をお伺いするんだよ」

 

 久々に和渕の口から敬語が流れ出てぞっとする。

 

「ご主人様て」

 

「ああ、すずきのことじゃないよ。プレイヤーの、ミヤベさんの進路希望をお伺いするんだ。進学する? 就職する? それとも死ぬ?」

 

「………」

 

「まあ冗談だけど」

 

 和渕が笑う。俺も無理につられ笑いする。

 

「ミヤベさんは今、記憶ごとすずきになりきってゲームをしているだろ? それを一旦中断して…そうだな、ゲームの途中でメニューボタンを押すみたいな感じ。「ゲームを続ける」「新しいゲームを始める」「ゲームをやめる」の三択だよ。それをミヤベさんに選んでもらうのが僕の新しい仕事。ワクチンとしては消えそこないだけど、ゲーム内の媒体としては使いまわせるから」

 

 一息にしゃべり終わって、和渕は小さくふうと息をつく。廊下の窓に背を向けたまま、窓の外に視線をやる。俺もつられて窓の外を見てみるけど、移動教室のクラスがばらばらに並んで横切っているだけだった。

 

「すずきの名前の由来って知ってる?」

 

 和渕の目線が俺に戻っていた。どこかで聞いた質問だ。

 

「全てのことが好き…」

 

 と呟きながら、昨日数学の宿題に赤ペンで「しるかー」って書きまくったのを思い出して、後ろめたくなる。

 

「それはただの設定だよ。そうじゃなくて、どうしてプレーヤーのミヤベさんが一人称キャラの名前設定を「すずき」にしたか」

 

「うーん…もしミヤベさんがそのまま「ミヤベ」にしたら、宮部とかぶるからじゃねーのか?」

 

 3回「みやべ」って言ったうち1回がアホ…子どもっぽい表情のヤツなんだけど、伝わったかな。

 

「なるほどね。でも、「すずき」だって鈴木さんとかぶるじゃん」

 

 伝わったらしい。

 

「でも宮部のほうが、なんか、出現率高いし。てか三年間クラス一緒だし」

 

「どうしてすずきはみやべいと三年間同じクラスだと思う?」

 

「え、じゅばく?」

 

 めっちゃ適当に即答する。

 

「みやべいはね、エレメント学園(※1)でいうミズモトくん(※2)なんだよ。ゲーム版(※3)オリジナルの転校生(※4)がすずき。そしてプレイヤーはH少年(※5)のファンなんだ」

 

 ※1 毎週火曜の深夜2時から絶賛放送中の化学系学園アニメ。

 

 ※2 学園一の軽いやつ。陰性のお姉さんを見かけると、「ぽっ」と音を出して燃える。

 

 ※3 エレメント学園への転校生として、学園の仲間たちと遊べるゲーム。

 

 ※4 ゲーム版のために作られた、一人称キャラであるプレイヤーの分身。

 

 ※5 ミズモトくんの愛称。もちろん理由は科学的な根拠である。

 

「設定上の生徒になりきって、好きなキャラの近くで学園生活をプレイする。それがこのゲームの目的だよ」

 

「このゲームって…この、ユメトムもか?」

 

「まあだいたい、そんな感じかもね」

 

 和渕が自慢げに適当に言う。確かに、28世紀という(わららから聞いた感じ)暗い時代の中で、宮部の日常をゲームでたどるのはいいかもしれない。きっと宮部のモテ期は700年後に到来するんだな。

 

「ミヤベさんはね、すずきになりきってみやべいに会いたいんだ。みやべいの出現率が高いのもそのせいだよ」

 

「そんなに宮部のことが好きなのか? ミヤベさんて」

 

「そりゃあね。それに、みやべいだってミヤベさんが好きなはずだよ」

 

「ということは、宮部とミヤベさんは両思いなんだ」

 

 内容は恋バナに聞こえなくもないが、会話中の「みやべ」率が高すぎる。もはやいちいちアホ…子どもっぽいヤツなど思い浮かべていない。

 

「そーだね。じゃなかったら、ミヤベさんはミヤベさんじゃなくなってる」

 

「…どういうこと?」

 

「ミヤベさんは、ミヤベって名字じゃなかったんだ。でもみやべいに会って、ミヤベって名前になったんだ。」

 

「じゃあ、ミヤベさんて…」

 

「700年後の、みやべいの奥さんだよ」

 

 和渕が、買いレスの隠れルートを見つけたときと同じ表情で言い放つ。俺は「おお~」と「ああ~」が混ざったような口のまま、頭の中でばたばた早送りされる宮部を想像して、そのまま笑ってしまう。

 

「すげーな」

 

「まだまだ」

 

 ゲームに勝ってるときのテンションだ。

 

「すずきの名前の由来、知ってる?」

 

 2度目の質問。負けたくないから考える。たぶん1分ぐらい考える。そして繋がってしまう。

 

「中学の宮部に、「鈴木」って呼ばれてたから…?」

 

「正解」

 

 和渕がまた勝ったように言う。俺だって勝ったように右手で小さくガッツポーズする。今自分が鈴木さんで、鈴木さんが実際の俺で、これは鈴木さんが見ている夢の中の俺で、鈴木さんがしている俺で…とかいうことをぐるぐる確認したのは後のことだ。今はただ、恋バナできゃーとか言ってる女子の気持ちと同化していた。

 

「すげーな。おーお…すげーな」

 

 やたらと繰り返すうちに、家でゲームしてるときのテンションを学校に持ち込んでしまった気がして、がんばって落ち着く。

 

「ウイルスに侵入されていろいろ暴露されたと思うけど、このユメトムに関する知識は僕の方が上だからね」

 

 少し小さい声でそう言って、和渕は笑ってるような笑ってないような顔をした。

 

 

 

 

 

 今俺というキャラをプレイしてるのは、714歳のミヤベさん。そしてミヤベさんは、鈴木さんの記憶を抜かれた714歳の鈴木さんだ。今見ているこのゲーム世界の裏側、豆電球だけが点いているような現実世界のイメージが、想像するたびに重く彩られていく。

 

「あぁ~」

 

 昼休みの廊下、ア…子どもっぽい声を発しながら鈴木さんを見つけた宮部を、俺はタイムマシンに乗ってきた未来人のような目で見守る。

 

「鈴木っどの! どのこーこー行こーとこー思っているのか」

 

 おまえ何時代の人だよ。

 

「職員室」

 

 プリントの束を腕の中にすっぽりおさめて、鈴木さんは答えた。

 

「そっか、しょきーんしつ行くのか、うん、俺もそこ行くから、共に行こうー」

 

 それでいいのか。こーこーのこときこーとしてたんじゃないのか。

 

「…あ、職員室行くんつきあってくれる?」

 

「へぃあっ!?」

 

 落ち着け、文脈を読め宮部、

 

「俺、おれおれ、は…も、とも、友からね、ともとも」

 

 たぶん「つきあう」なら友だちから始めましょう的なことを言おうとしているのだと思うたぶん。

 

「とも?」

 

「…そう、そう! おれおれ、ともくん。あ、プリン買ってみともくん」

 

 鈴木さんが首を傾げる。3年間一緒にいた俺でも、プリン買ってみともくんは理解できない。

 

「あ、プリンじゃねーや。ぷリーんズ、あれ?」

 

 無駄に両手をふりふりして伝えようとする宮部を、微動だにせずに見つめている鈴木さん。700年後、ちゃんと会話できるようになってんのか?

 

「ぷり、プリーズ、コール、ミ、ともくん! OK?」

 

「ああ、うん、ともくん」

 

 気付かぬうちに偽名を植えつけてしまっている宮部。そしてそれをさっくり受け止めている鈴木さん。並んでしょきーん室に向かう二人を、転校生キャラの俺は半笑いで目に焼きつける。――これが、俺の役割らしい。

 

 

 

 

 

「てことは、すずきはただの目なんだね」

 

 わららはちょっと馬鹿にするような笑顔で言った。実際その表情はベッドの天井をはさんでその上にあるんだけど、声の感じから想像できた。

 

 和渕が教えてくれた28世紀の恋バナもどきを、俺はいつわららに教えようか帰ってすぐ教えようか飯食ってから教えようか風呂入ってから教えようかとずるずる思いつつ、布団に入ったころやっと全部言って、和渕が知ってて今日教えてくれたと言って、わららの反応はその一言だったのだ。だから俺も、

 

「そーだよ、ただの目くらいの役割が丁度いいんだよ」

 

 とか、開き直り気味に答えていた。

 

 俺はただ宮部を見て、聞いて、プレイヤーの方のミヤベさん(鈴木さん)を楽しませるのが義務なんだ。ただのカメラ係でしかないから、俺自信の幸せどーこーなんて全く義務じゃない。そっちの方が気が楽だ。

 

「てゆーか、わららに全部バラされてからこの世界はもう何でもアリなんだ。だからもう、役割とか理由とか最初っからどうでもいいんだよ。俺は別に主人公だからってちゃんと生きる必要とか無いし、そーゆーのもみんなどうでもいいんだ」

 

 どーでもいいどーでもいいとくり返す自分の声を聞きながら、自殺する人みたいだと思って可笑しくなる。

 

「こんな生きる気力なさそーな事ばっか言ってるから、まじでわららに自殺に追い込まれたのかもしれない」

 

「ほんとに?」

 

 ――いつものほんとに?じゃなかった。首を傾げたり、覗き込んだり、たぶんそういう仕草がないだけなんだと思うけど。

 

 ずっとしゃべっていた口が止まる。2段ベッドの下で、仰向けになる。

 

「…正直言うと、」

 

 それだけ言ってしまって、これから何を言うのか全く決めていない。何を喋るかも分かってないのに、胸がとくっと鳴る。

 

「ほんとだと思って欲しいから、ほんとだって言うんだよ。嘘か、どーかとか関係なくて、言いたいことを言うって言うか。嘘でも言って、相手に、そう思わせたいんだよ。いや、そんなん当たり前だけど。でもカンケーないんだよ、だって本当かどーかなんてもともと分からないんだし。うーんでも思ったりすることは、そうなのかな。でもそんなの人から分からないし、じゃあ言いたいように言うのが、というか、分かんないけど…思ったまま言う方がいいのかな」

 

 また一人でたらたらしゃべっている口を止めて、待つように耳を済ませていたら、うっすら寝息が聞こえてきた。そのまま寝息を10往復くらい聞いてから、

 

「正直言うと、たぶんわららが笑ってんのが好き」

 

 枕に向かってゆってみる。

 

「へーそうなんだ!」

 

「えぉっ起きてたのか?」

 

 やたらでかい声が出た。ベッドの天井越しに、わららのにはっとした表情が浮かぶ。

 

「すずきあたしが笑ってるの好きなんだ~ふ~♪」

 

「そ、りゃそーだろ全てのことが好きなんだから。わけへだてなく、うん」

 

「じゃあさ、あたしが笑ってないのも好きー?」

 

「…うん」

 

「あたしが苦しいのも好きー?」

 

「うーん」

 

「あたしが死ぬのも好きー?」

 

 ベッドの上からなだれこんでくる質問に全然わけへだて――ありまくった。今うんって言ってベッドのはしごを上ったら、わららがいなくなってしまうような気がした。

 

「正直言うと、好きじゃないかな」

 

 そうつぶやいてしまってから、俺は頭の上まで布団をずるずるかぶる。すると今度は下から足がはみ出て、何かこしょばされそうな気がして、布団の中へ引っ込めた。

 

 

 

 

 

「すずきっ、メールきた!」

 

 枕の上でぼんやりと、わららの持ってる紙を眺める

 

「マッシュマン…?」

 

 そう、それは数学の教科書に毎ページかかさず登場する、一度見れば二度と忘れられない強烈なインパクトを持つ解説キャラクター。人々は彼をこう呼ぶ、「スーパーゲジゲジマッシュマン」。初めてマッシュマンを目にした者は、その晩98パーセントの確率で夢に見るといわれ(俺もその一人だ)、ノートの隅などに少しでもマッシュマンの落書きをした者は、どんな成績優秀者でもその学期の通知表に「えんとつ」または「あひるさん」がつくという恐ろしい都市伝説もある。

 

「よく見て違うよ、キノコだよ」

 

「だからマッシュマンってキノ………あ、イカか」

 

 衝撃の事実を思い出して一気に目が覚める。犠牲になったその提出プリントの上には、キノコのマークと、二つの×マークが浮かび上がっていた。

 

「りいちなの」

 

 わららがつぶやく。

 

「あと一回すずきに嫌われたり、すずきを逃したり、殺しちゃったりしたら、あたしはとーもくんに消されるようになってるの」

 

 滴さんの言葉を思い出す。キノコはただのキノコじゃない…イエローカードが送られてきたんだ。

 

「人間もね、弱いのはすぐ死んじゃうでしょ、それで強い遺伝子が残るの。だから、ルールを破るウイルスは弱いから、残っちゃだめなのよ」

 

 わららは他人事のように、でもそのことをとても理解しているように説明する。ワクチンからも、とーもくんからも、28世紀でわららみたいな存在は消されようとしている。

 

「今日はミヤベちゃんの希望調査の日」

 

「あ、今日なのか」

 

「今日、ゲームをやめて安楽死を選んでもらったら、きのこの「の」を破らないでいれるよ」

 

 わららはそう言って笑う。俺を苦しめて楽しいときとは違う笑い方だった。

 

 ミヤベさんが自殺するか。生きながらえるか。どっちが正しいとか…もう、そんなの無いんだろうな。

 

 

 

 

 

 俺はまた、2組の教室前で鈴木さんを待ち伏せする。今度は和渕が隣だ。わららも隣に…というか、廊下をとんとこ歩き回っていた。

 

「鈴木さんもまきこむのか?」

 

「そうだね。むしろ今日まきこまれるためにこのユメトム内に鈴木さんがいると言っても過言ではない」

 

 和渕が長ったらしく答えてくれる。

 

「どうして鈴木さんは、他のみんなとしゃべり方が違うと思う?」

 

「ミヤベちゃんが関西弁だから!」

 

 早押しクイズみたいに片手を上げるわらら。制服のたすきに引っ張られて、スカートの片側がしゅっと上がる。

 

「うん。というかゲームの外の現実世界では、鈴木さんもみやべいも、もともとみんな方言だったんだ」

 

「え、あ、そーなのか」

 

 和渕の言葉に反応しながら、関西弁の宮部を思い浮かべてみる。…確かに、それはそれでしっくりきてるかもしれない。

 

「でも英語が標準語になって、標準語が方言になって、方言は使われなくなった。だからこのゲームの中ではみんな標準語なんだ」

 

「じゃあ何ですーちゃんだけ違うの?」

 

「今日のためだよ」

 

 今度は和渕が早押しクイズの早さで答えた。

 

「ミヤベさんがミヤベさんとして、一番見やすくて馴染みがあって違和感の無い画面で話せるように」

 

 ぽかんとしてる俺に、和渕は暗唱のように説明する。

 

「今このユメトムは、音声も映像もすずきの視点で再生されている。それを一旦中断し、保存庫にバックアップしていた記憶を一時的にミヤベさんに呼び戻す。そして意識を抜いた鈴木さんに視点を移し、進路希望調査を取るんだ」

 

 うーーーん、ぱっと聞き解らない。

 

「まあ要するに、すずきの中のミヤベさんが、鈴木さんの体にのり移るんだよ。そのときすずきも勝手に意識を失う」

 

「まじで」

 

 ちょっと笑いそうになる。何だかゲームの中の出来事みたいで、非日常っぽかった。

 

「大丈夫、調査の間だけ昼寝してるようなもんだから」

 

 案外日常的だった。

 

「じゃあ、俺は意識ない間、その内容は聞けないのか」

 

「大丈夫、あたしが盗聴しといてあげる♪」

 

 俺がつぶやいた声の何倍もの元気さで、わららが耳をぴんっと指差す。その盗聴内容がわららの生死を決めるなんて、ちっとも感じさせないポーズだった。

 

 

 

 

 

 それから鈴木さんの掃除が終わるまで、俺たちは他の人から見たら(俺から見ても)ナゾな会話を繰り広げていた。鈴木さんは教科書いっぱいで四角くでっぱったかばんを背中に回し、教室の入り口の段差をことんと降りる。

 

「鈴木さん、ちょっと一緒に来てくれる?」

 

 ゆっくり歩く鈴木さんに声をかける和渕が怪しい。いや、別に怪しいわけじゃないんだけど。

 

「うん」

 

 3秒後くらいに、鈴木さんは、なぜか微妙に明るい表情になってうなずいた。

 

「ありがとう」

 

 和渕はそう言って階段の方へ歩き出し、鈴木さんがそれについて行って、次にわららがついて行って、俺は一番後ろをついて行く。一体自分たちが何の集団なのか、自分でも分からない。

 

 階段を3回上がって、理科室の上の踊り場まで来て、和渕がぴたっと振り返る。鈴木さんがびっくりして首を傾げるのと、

 

「失礼します」

 

 同時だった。和渕は鈴木さんの口に口を当てる。わ、和渕ーい…。

 

「すーちゃん死んじゃうよ」

 

 わららが声を出した時には、鈴木さんはずるっと力が抜けて、その場に座り込んだ。長いスカートが一瞬ふくらみ、静かに床に広がる。和渕はゆっくりしゃがんで、鈴木さんを壁にもたれかけさせた。

 

「ウイルスの睡眠薬は一滴で死んでしまうけど、ワクチンはウイルスを弱めたものだから、相手の意識を失わせるには丁度いいんだよ」

 

 その口で説明する和渕が遠く感じる。一昨日までいっしょに小学生レベルのゲームしてたじゃんかよ。

 

「すーちゃんは、意識うしなってるの?」

 

 わららが首を、上半身ごとかしげる。背中に隠れていたふたつの三つ編みがふらっと現れる。

 

「そうだね、もう効いてると思うよ。そろそろのり移るはず。あ、すずきも睡眠薬いる?」

 

「え」

 

 ただの傍観者だった俺に、急に何かがまわってきた。そうだ、俺このゲームの主人公だ。傍観してる場合じゃない。

 

「いらないよ。だって勝手にのり移るんでしょ?」

 

 俺が考える前にわららが早口で言う。和渕の表情が少し変わる。

 

「でも使った方がすずきの負担が少ないんだ」

 

「じゃあ使わなあーい!」

 

 わららが和渕に両腕で×マークを作って押し付ける。レーザーでも出てきそう…とか思ってるうちに、不思議な気持ちに襲われる。急に視界が遠く、画面の中に納まってしまう。今まで生きてきた世界が、全てただの映像になる。そう、夢から覚める感覚だ。和渕が俺に何か聞いてくる。でももう和渕は現実じゃない。俺は俺じゃない。自分が死んでしまうような気がする。嫌だ。もっとここにいたい。寂しい。消えてしまう。怖くて「だって、私のこと鈴木って呼んどうから」声がはっきりしてくる「どっちも鈴木になったらややこいやん」走馬灯みたいに「なるほど、俺はともくんやからセーフなんや」聞きなれている声「じゃあ鈴木はミヤベに変わるん?」一つ一つ「でも鈴木って呼んどったらええよ」のり移る「もう鈴木ちゃうのに?」本当の記憶「だって私は」夢から覚――

 

 

 

 

 

 目を開けると、三つ編みの女子がいた。ぼうっとした視界に、まるく開いた二つの目。

 

「くるしかったっ?」

 

「え…と」

 

 俺は自分の頭に(ちなみに俺の頭にはマッシュマンがいる)手を当てて、遠い感覚を思い出す。たしか、たぶん、鈴木さんが宮部としゃべってる記憶がフラッシュバックして、自分が死んでしまって、夢から覚めてしまって、現実世界に引き戻されるような不思議な感覚で…

 

「うん、死ぬかと思った」

 

 これだけ伝えれば十分だ。わららの表情が十二分にっこりする。

 

「あれ、なんで家…?」

 

 今さら周りを見回すと、ここは俺とわららの部屋だった。

 

「だってすずきがずーっと起きないからね、かばんに入れておうちまで持って帰ってきたの!」

 

「俺をっ?」

 

 なんかぞっとする。さっきまで死体だったみたいだ。

 

「ウイルスは力持ちなんだよ」

 

 それはよく知ってる。

 

「よく入ったな」

 

「いや、ちょっと手足ははみでた」

 

 よけい怖いじゃん。

 

「最初はね、教科書とかあって入らなかったけど、それみんな出したら入ったよ」

 

「え、じゃあ教科書とかは」

 

「窓からほっぽり出してきたー♪」

 

「えー」

 

 グランドの運動部にマッシュマンの絵描き歌考えてた痕跡が見つかったらどうするんだよー。

 

「あ、ちなみにすーちゃんの記憶は、わっちくんがテキトーにやっといたらしいから、問題ナシっだよ」

 

「問題アリそうだけど」

 

「問題ならあるよ☆」

 

「問題ならある…のか?」

 

「うん、第1問!」

 

 そういうかんじですか。

 

「あたしの盗聴器のある場所は?」

 

「え、耳」

 

「でえーすうーがあー」

 

 わららは嬉しそうに全身を使って「でえーすうーがあー」を表現する。

 

「それを再生する、スピーカーはどーこだっ?」

 

「…くち?」

 

「ぶっぶー」

 

 わららは口から効果音を出す。

 

「ヒントはねー、10回クイズ!」

 

「アルバム? あぶら、あ、むし、いや違うな」

 

 わららの口の中で流れているだろうドラムロールに合わせて、まっすぐ開いた目の光の粒が揺れる。

 

「正解は…、おひざでした~♪」

 

「いでぃっ」

 

 押さえ込まれた頭を勢いよくひざ小僧で挟まれ、鼓膜にぼっと風圧がかかった。何がなんやら分からない慣れない体勢のまま、俺はかすかに聞こえる遠い会話に集中した。が、

 

「英語じゃないですか…」

 

「英語が標準語だもん」

 

 わららが28世紀の常識をつぶやく。俺はとりあえずすごい圧力のひざヘッドホンからぬけ出した。

 

「こうゆう大事なことは、みんな英語になってるの。日本語は、遊ぶ用の方言だから」

 

「すげえな未来の人」

 

「簡単だよ、脳内に翻訳ソフトをインストールしてるの」

 

 なるほどね。

 

「みんなそうだよ。あのね、頭いい人はお給料いっぱいだけど、頭悪い人はお給料少ないでしょ? だからそれ格差だから、みんなが平等に頭良くなれるように、全員頭を治療するの」

 

「じゃあ、最初っから子どもは学校とか行かなくていいのか?」

 

「そーだよ。25世紀ぐらいから、「子ども」って身分は無くなったの。生まれたときから、み~んな平等に「大人」なのよ☆」

 

「ふーん」

 

 人類の歴史を先取りした気分でいる俺の前で突然、わららは自分のひじを袖の中にしまい始めて

 

「どっかに音声切り替えスイッチがあるんだけどな~」

 

 かぶっただけ状態のワンピースの中で手を動かしていた。

 

「やややや、脱がなっていから…」

 

 片言みたいになる。

 

「脱がないよ、めんどくさいもん」

 

 また28世紀の常識でも言うようにつぶやきながら、わららは裾から出した手で、再び俺の頭をひざ小僧におさめた。あー今俺、なんか、悪い人だ。捕まる級に悪い。でもいっそ目をつぶってしまう気にはならない。いやー俺どうしよう、変態かもしれない。

 

 

 

 

 

「あ、ここかも」

 

 流れ落ちるように流れる英語越しに、わららの声がかすかに聞こえる。

 

「――した場合、次のゲーム設定のご要望をお伺いさせていただきます」

 

 和渕の声が日本語に切り替わった。

 

「ありがと…」

 

 俺がひざの中でわららにつぶやく間も、和渕の声は絶え間なく続く。

 

「そして3つめのプランは、エンドロールと共にソッカイする。つまり、安楽死です」

 

 卒界、と頭の中で勝手に漢字を当てはめてみる。「この世界からの卒業」…この字で合ってる気がしてきた。

 

「自殺?」

 

 鈴木さんの声だ。今よりもっとゆっくり、首をかしげたような聞き方だった。

 

「まあ、そういうことになりますね。今の時代、死ぬといったら自殺しか道はありませんから」

 

 自殺…鈴木さんがこれを選べば、わららは消えずに済む。ユメトムを操作してプレイヤーを自殺に追い込むのが、ウイルスの役割だ。

 

「というわけで、このままこのユメトムの続きをするか、新しいゲームに切り替えるか、それともこれを人生最後のゲームにするか」

 

「ともくんは、今生きていますか?」

 

 俺は伏せていた目を見開いた。見開いたせいでわららのひざが少し動いたかもしれない。ともくん――つい昨日の宮部のおれおれ詐欺みたいな会話から、そのまま700年間…

 

「ともくんというのは、宮部さんのことですか?」

 

「うん」

 

 ――この二人、一体700年後どうなってるんだろうか。

 

「確認は難しいですね、個人情報は厳密なものですし」

 

 ――700年後の二人は、ちゃんと会話できるようになってるんだろうか。

 

「全世界の人口をあわせると、何兆人にもなる膨大なデータです」

 

 …ちがう。700年後の二人は、

 

「僕はただの元ワクチンですから、上に伝えていろいろと許可を得る必要もあるんです」

 

 お互い別々のゲームをして、お互い別々のイヤホンを目にさして、相手が今生きているかどうかさえ分からないんだ。

 

 鈴木さんの声は、それからずっと黙っていた。自分が鈴木さんに重なっている気もしたし、全く重ならない感じもした。

 

「ともくんが死んでたら、私も死にます」

 

 プラン3。自殺。わららが消えない。リスニングテストみたいに頭の中でくりかえす。

 

「ともくんが生きてたら――」

 

 言葉が止まる。

 

「生きてます」

 

 きっ、と鳴るひざの音に混じって、かろうじて聞こえる息のような声。プラン2、プラン1、わららは…

 

「希望調査の締め切りは明後日です」

 

 和渕の声が続く。

 

「それまでに、彼の消息を確認します」

 

 

 

 

 

 最後まで再生し終わって、俺はひざの間にいたことを忘れかけていた。スピーカーから耳を外すと、時計の音がはっきり聞こえた。和渕の、鈴木さんの、言葉の一つ一つが頭の中で繰り返し流れる。目の前にいるわららを、俺は見ていなかった。

 

「宮部が死んでたら、鈴木さんも死ぬんだろ」

 

 鈴木さんが死んだら、わららは死なないんだ。

 

「宮部が生きてたら、宮部にウイルス送って殺せばいんじゃねーか? そしたらわららも手柄だし…」

 

 ――ああ、何か俺って、小学校入った頃からそうだった。クラスの誕生日係の女子が、ヤスモンのコケッシー(休み時間モンスターズという俺がハマっていたゲームに出てくるコケッシーという消しゴム進化形のうち第一段階のキャラ)を描いたカードをくれた。ただそのコケッシーの色塗りがめちゃめちゃで、気に食わなかった俺はいらないと返した。返された女子は半泣き、半泣きされた周りの女子たちは「あやまってよ」と俺を取り囲み、取り囲まれた俺はよけい炎上して、せっかくのきれいな画用紙にこんなきもちわるい落書きしてちきゅうかんきょう悪くなるだけじゃんみたいなことをぶつぶつ言っていた気がする。

 

 俺からすればこのゲームの世界より、それをプレイしている現実世界の方がよっぽどゲームみたいだった。ゲームは人事だからゲームなんだ。だから相手にレジ袋を投げつけて息を止めるのだって楽しい。そんな自分を指差す女子たちがいるとよけい楽しい。でも今は…目の前に、ウイルスの女の子が一人いるだけだった。

 

「じゃああたし、もうすずきを苦しめなくていいの?」

 

 まるく目を開いた、ただの笑っていない人形。俺がわららを嫌ってワクチンに検出されたときより、ぞっとした。俺がどれだけわららに日々苦しめられようが、鈴木さんの希望調査票は宮部次第だ。ゲームの中での記憶が、一切影響していない――わららはどうなるんだ? 役割を失ったウイルスは、和渕みたいに再就職とかするんだろうか。それとも役に立たなかったら、消される。いなくなる…?

 

 三つ編みの彼女に手を伸ばすと、3Dメガネの映像みたいに通り抜けてしまうんじゃないかと思った。

 

 

 

 

 

 わららが風呂から上がったくらいのことだ。わららのおててケータイに電話がかかってきた。

 

「もしもし」

 

 留守番の小学生みたいに答えるわらら。俺もその右手にそわっと左耳を寄せた。

 

「…もしもし、わららさんですか?」

 

「うん」

 

 知らない声の人だ。わららもまた留守番小学生の返事。

 

「はじめまして、私はとうもろこしの会代表、狐と申します」

 

 子どもっぽい感じの声なのに、喋り方は不自然に流暢だった。

 

「とうもろこしの会ってなーに?」

 

「そうですね、遺族の会とでも申しましょうか。ある一人の人物のせいで、いくつもの命が犠牲になったのです。私の恋人も、彼が原因でなくなりました」

 

 その声色にも喋り方にも、恋人って言葉があまりマッチしない。わららはなぜか左右にゆらゆら首をかしげている。 

 

「彼の名は宮部」

 

 聞いた瞬間どきっとする。どきっとしてから、宮部が爆笑しながら周りの人々を巻き込んで笑い死にさせる姿が思い浮かぶ。でもそれ以外思い浮かばなくて、どっかよその宮部さんだと思った。

 

「宮部ってみやべい?」

 

 初対面の人にそれで通じるのか分からなかったが、電話の相手は微笑むように答えた。

 

「ええ、おそらくその方だと思われます」

 

 俺がいろいろ動揺するのも待たずに、彼女はすらすら続けた。

 

「そちらのユメトムを担当している、和渕さんという方にお伺いしました。明後日までに宮部さんの消息を知りたいそうですね」

 

「知ってるのー?」

 

「はい。ただしその情報をお伝えするに代わりに、交換条件を申し上げたいのです」

 

「こーかんじょーけっ」

 

 わららがしゃきんと反応する。

 

「はい、突然のお願いで申し訳無いのですが…映画を撮ってくれませんか?」

 

 映画…?

 

「とうもろこしの会に必要なものでございます。詳しい内容についてはまた後日お伝えしますので、よろしくお願いします」

 

 そこで電話は切れたらしい。相手の声はもう聞こえなくなった。

 

 

 

 

 

 わらら的にはどうなんだ? もしさっきのとうもろこし代表?みたいな人が、現実世界の宮部が今生きていると言ったら、このゲームは存続してしまうかもしれない。そしたらわららはキノコの「ノ」を破って消えてしまう。でももし明後日までにどっちか分からなかったら、プレイヤーの鈴木さんはどうするんだろう? 仮にそこでとりあえず生き続けることを選べば、どのみちわららは消されてしまう。そもそも700年後の宮部の消息を知って得するのは、俺たちよりむしろ和渕のほうだ。じゃあなんでさっきの人は、和渕じゃなくてわざわざ損する俺たちのところに電話をかけたんだ…?

 

 床の辺りを見つめながらぐるぐる考えてた俺の斜め前で、わららがくるんと振り返る。ピント的に近すぎて一つ目に見えてしまうくらい目の前で、俺が反射的に後ろにのけぞると、両目いっぱいにきらきらを溜めて、

 

「え・い・が・だってぇぇぇ~」

 

 かすれるほど高い声を思いっきり「え」の口で伸ばしていた。それからまたくるっと振り返り、机の引き出しをあさりはじめる。

 

「何してんの?」

 

「よ~い、カット!てするやつ作るの!」

 

 わららはそう宣言しながら、引き出しのカッターとカッターマットを取り出した。それからグーの手で握った黄色いカッターを、濃い緑色のマットに勢いよく突き刺し始める。

 

「ちょ、危ないて…」

 

「あぶないのっ?」

 

 わららのカッターと目が光る。

 

「…いや、危なくない危なくない。もし仮に刺さったとしても、俺全然痛くなくて苦しまないから、だからそのカッターを振り回す必要なんてまったく無」

 

「ちがうよ、これ刺さったら血が出るんだよ」

 

 わららに常識が身についていくのが恐ろしい。

 

「だからね~、痛い!」

 

 わららは5センチくらい刃を出したカッターをおでこにかざし、キメポーズをキメた(んだと思う)。それからまた息つぎみたいにひいんと笑うと、危なっかしい手つきでカッターマットをがたがた切り裂いていく。この濃い緑の残骸たちが「よ~い、カット!てするやつ」に無事なれるかは分からないが、黒板から白いチョーク盗んできて何か書いたら、それっぽくなるかもしれないとか思った。

 

「あ、やっぱ手…気をつけないと」

 

「だーいじょうぶ。ウイルスは力持ちだから☆」

 

 だから余計心配なんだよ、と心の中でつぶやきながら、俺はわららの図工の時間の授業参観でもしているみたいな気分だった。カッターマットの下から血でも垂れてきそうな刺し方だったが、その小さなグーの手の持ち主は、ほっぺいっぱいの笑顔で人を油断させてくる。それはたぶん、この数学の問題みたいな28世紀のゲームの中に、突然侵入したウイルスの役割なんだ。とか思った。

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